ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「神の手」は「若者たちの敵討ち」と言ったマラドーナ逝く。

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 1986 年FIFAワールドカップ準々決勝 アルゼンチン対イングランド戦でサッカーの歴史に残る事件が起きた。両チーム無得点で迎えた後半4分、ドリブルでゴール正面に切り込んだマラドーナ  が、ボールをふわりと蹴り上げ、落下地点へと走りこんだ。GKシルト は慌てて前方へ飛び出し、2人が空中でボールを競り合う形となり、シルトンのパンチングより先にマラドーナが左手の拳でボールを、ゴールに流し込んだ。イングランドは主審にハンドをアピール。テレビ中継の再生映像でも、マラドーナがジャンプしながら振り上げた左手の拳でボールをはたいている瞬間がはっきりと映っていた(⬆上の画像)。だが、主審はマラドーナがヘディングでボールにコンタクトしたと判断し、ゴールを認めた。マラドーナは試合後このプレーについて、「ただ神の手が触れた」と表現。以後、サッカー界ではこれに類するプレーは神の手(Hand  of God)と呼ばれることになった有名な事件だ。マラドーナは、なぜ「神の手」と言ったのか。この事件の4年前、アルゼンチンはイングランドにフォークランド戦争で敗北していた。「神の手」は、「フォークランドで殺された若者たちの敵討ちだった」とマラドーナは後に語っている。「罪の意識はなかったのか」という問には「イングランドに勝てるなら手だって使うさ。審判が認めれば、それでゴールだ」と答えている。 審判の目を欺くマジックのような「神の手」で因縁の宿敵を破りアルゼンチンに勝利の歓喜をもたらした国民的英雄、そしてサッカー界の巨星マラドーナが逝ってしまった、ご冥福を祈りたい。