ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

国際大物スパイ「ゾルゲ」は日本人の「恥の文化」を利用した。

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リヒャルト・ゾルゲは、ソビエトスパイとして1933年昭和8年)から1941年(昭和16年)までの9年間、日本でスパイチームを組織して諜報活動を行い、日本の軍事機密情報をソ連に流し続け、当時の日本を震撼させ続けた歴史的な大物スパイだった。ゾルゲはロシア人とドイツ人の混血だったためロシア人としてではなくドイツの新聞記者とナチス党員になりすまして日本へと入国してきた。ドイツ在日大使館の顧問となりナチスの情報収集を行いながら日本の軍事情報を得るために日本政府に近い人物を次々に諜報活動に利用していった。ゾルゲが日本人の知識階級の人物を取り込むために利用したのは「日本人の恥の文化」だったと言う。ゾルゲは日本人の「恥へのこだわり」をうまく利用することを先ず考えたのだ。「日本人は他人を売るような発言を簡単にはしないが、プライドが高い高学歴の人ほど自らの無知を指摘される(バカにされる)とそれに反論しようとムキになって喋りだすものだ」とゾルゲは語り、日本人から情報を聞き出す手段として「あなたはそんな事も知らないのですか?」と話の水を向けるのが常だったと言う。同じ時代、日本人の行動様式を研究していたアメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは罪の意識を重視する西洋の「罪の文化」に対して日本人の行動様式は恥をかくことを良しとしない「恥の文化」だと指摘しているが、ゾルゲはまさにこの日本人特有の「恥の文化」の弱点を突いてスパイ活動を成功させていったのだ。これほど冷徹な男だったゾルゲも1941年に特高警察に逮捕され1944年のロシア革命記念日に巣鴨拘置所で死刑にされた。最後の言葉は日本語で「これは私の最後の言葉です。『ソビエト赤軍、共産主義バンザイ』」だった。