ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「余命2年」全財産をはたいて高級外車ジャガーを買ってしまった66歳老女。

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NHKの再放送番組を見ていたら66歳の老女がガンに罹り医師から「余命を宣告」されるという話に出くわした。ガン転移が判明した後の老女と医師との会話。老女「あと何年もちますか」医師「ホスピスを入れて二年位かな」老女「いくらかかりますか死ぬまで」医師「一千万」老女「わかりました。抗ガン剤はやめて下さい。延命もやめて下さい。なるべく普通の生活が出来るようにして下さい」医師「わかりました」。この老女とは、実は絵本作家として著名な佐野洋子さんだ。彼女は、自由業で年金がないから九十まで生きたらどうしようと貯金をしていたが、あと二年しか寿命がないとしたらそんな貯金は必要ないと思い、病院からの帰途、近所のジャガーの代理店に行って、売り場にあった一台の車を注文した。「それ下さい」購入した英国の高級車ジャガーに乗った瞬間、シートがしっかりと自分を受け止めてくれて、あなたを守ってあげるよと言っているみたいに感じたという佐野さん。「あー私はこういう信頼感を与えてくれる男を一生さがしていたのだ」という思いがこみ上げてきた。けれど、あと2年しか生きられないのだから、もうそんな男に巡り会う可能性はない、そう思うとがっかりした。「でも」と佐野さんは思い返した「最後に乗るクルマがジャガーかよ、運がいいよナア」とチョイ悪婆さんの佐野洋子さんは強がりを言って見せるのだ。余命二年と云われたら、十数年間、彼女を苦しめていたウツ病がほとんど消え人生が急に充実して来たような気がして「毎日が楽しくて仕方がなくなった。程なく死ぬとわかるってことは、自由を獲得することではないか」と佐野さんは思う。そして余命宣告から6年を生き延び、佐野洋子さんは2010年72歳で亡くなった。医師からの「余命宣告」を果敢に一蹴してみせた彼女の「生き返り精神」は彼女の代表作の絵本「100万回生きたねこ」の主人公の猫にソックリだ、合掌。

日本愛フレディ・マーキュリーは、日本の美術館を丸ごと買おうとした。

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映画「ボヘミアン・ラプソディ」で大ヒットをとばしたイギリスの伝説のロックバンド「クイーン」のメンバーは大の親日家として知られるが、中でもボーカルのフレディ・マーキュリーは日本の伝統的な美術品を好み、来日の度に日本の古美術品の収集に熱心だった。そのフレディが亡くなる5年前の1986年9月に栃木県足利市にある伊万里や鍋島などの陶器の古美術品の展示で知られる「栗田美術館」を訪ねた際のエピソードが面白い。美術館員から素晴らしい伊万里焼のお皿を見せられたフレディはすぐに買おうとしたが「これは売り物ではない」と拒否されたのに、なおも食い下がり館内の展示品の「あれを売ってくれ」「これを売ってくれ」と執拗に頼み続けたという。その理由を「だって、ひょっとしたら気が変わるかもしれないじゃないか」と同行者にフレディは語ったという。フレディが来日する度にボディガードを努めていた伊丹氏によると計7回の来日で、フレディは美術館ができるほどいろいろな日本の美術品を購入したという。「インターネットが今ほど普及してない時代だったのに、フレディは日本の美術品のことをとてもよく勉強していて古美術に造詣の深い人だった」と語っている。来日する度に日本人ファンを熱狂させ続けたフレディ・マーキュリー、その根底に日本人の感性と響きあう「美意識」があったからだ、と言えるかもしれない。

 

世界が知らないハナタカ、江戸時代からの会社が3,146社ある日本が世界一。

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Wikipediaで「老舗の一覧」と入力して検索すると「世界で200年以上の歴史がある企業」のリストが表示される(⬆上の表)。その数は世界中で5586社あり、その内日本の会社の数は何と3146社、全体の56%を占めて世界一の数だとわかって目を丸くする。日本以外で老舗企業の多い国は、ドイツが873社、オランダが222社、フランスはたったの196社しかない。これとは別に2009年に日本で行われた老舗企業の調査では100年以上歴史のある会社が、日本には2万1000社以上あるという。世界に例を見ない老舗企業がこれだけ日本に多い理由として考えられるのは、日本は島国のため歴史的に他国の侵略や支配を受けることがなかったこと、加えて日本人固有の勤勉性があったからだとされている。仕事に手を抜かず、一途に仕事に打ち込む国民性。『暖簾に磨きをかける』と言う言葉があるように、社風・ブランド・商品・社員を育て、それをいい状態で次の世代に渡すことを「美徳」と考える日本人の気質。これら長寿企業に共通している『家訓』や『理念』を次の世代へしっかりと受け継いでゆく姿勢と後継者を育てることを大事にしてきた為に江戸時代の昔から何代にも渡って会社が続いてきたというわけだ。イタリアやフランスなど欧州の会社の方が老舗企業の数が日本よりダンゼン多いと勘違いしていたあなた、これからはSince100年といった外国の会社の「コケ脅し」看板を見かけたら鼻で笑ってあげようではありませんか。(笑)

 

RとLの発音ができない日本人、新元号「令和」は英語でR?それともL?

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新元号「令和」を英語で綴るとReiwaなのかLeiwaになるのか、ネット上でザワついているが、政府からの公式な英文でのつづりは現在のところまだ発表されていない。海外での報道を見るとイギリスのBBCニュースではRを使ってReiwaと表記されているようにほとんどの海外メディアの表記はRで始まるReiwaであってLeiwaと表記されてるものは見当たらない。グーグル検索では「令和」を英語表記と入力するとやはりReiwaと出て来る。Rで始まるのかLで始まるのか一体どちらが正しいのだろうか。もしRで決まれば令和1年生まれの子供はヨーグルトのR1とからかわれ、18歳になれば未成年閲覧禁止のR18とからかわれるのが心配、と言う声もネット上にあがっている。おまけに、日本人が英語の発音でニガテとされるRとLの発音をどうするのか、「令和」生まれの人は外国で自分が「Reiwa生まれです」、と正しく伝えられるのか、イントネーションは語尾を上げるのか下げるのか、そのまま平坦に発音すべきかといった心配の声もある。新元号が発表されてこれだけいろいろな問題が議論されるのはSNSが発達した「令和元年」だからだろう。インターネットが普及していなかった30年前の昭和から平成への改元の際には日本国民は政府の発表した新元号そのままを素直に納得して受け入れた。ネット情報が行き交う「令和時代」、日本人の生き方はどう変化してゆくのだろうか。

 

新元号の「令和」これはひどい、とあきれ顔の米国人記者。

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新元号が「令和」で決まった。政府は出典は万葉集からと解説し初春の「令」月(れいげつ)にして、気よく風「和」ぎという歌の中から令と和の2文字をとって年号としたという。新元号のニュースはさっそく海外のメディアでも英語に翻訳され速報された。英国BBCは「令和」を「命令と調和」ロイター通信は「命令と平和」の意味があると解説した。また日本在住が30年に及ぶアメリカ人記者は、新元号発表の速報をテレビ画面で見ながら「さすがは日本会議(国粋主義)の安倍政権。『令和』とは平和を命じるという意味になる。これは酷い名前、(国民が)命令を守れば和が保てるという、つまりは日本人は(政府の)命令に従っていれば平和だという意味になる」と呆れ顔で語っている。確かに「令」という文字は、「言いつける、命ずる、言いつける、お達しする」、などどちらかと言えばパワハラなイメージのある文字だと解釈するのが一般的であって万葉集の歌を連想する人なぞ居るわけもない。「令和」を現代風に解釈すれば万葉集の雅な解釈とは程遠い「命令された平和」という意味に確かになってしまうだろう。政府は新元号を「決定する方法」についての「法律」なぞ無いのに勝手に国民の意見を無視したまま「密室」の中で新元号「令和」を決めてしまった。有識者の意見を参考にしたと言いながら万葉集の歌にばかり気を取られて「令」の文字が持つパワハラなイメージにまで考えが及ばなかったというわけだ。国民の意見を募ることなく政府主導のパワハラによって一方的に決めてしまった「命令された平和」とも読める新元号「令和」、日本国民は果たして喜んで受け入れてくれるものだろうか。

国連調査に異議アリ!「幸福度ランキング」日本はナゼ世界54位?

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国連は先月、2018年版「世界幸福度ランキング」を発表した。日本は世界のランキングで54位、去年の51位からさらに後退した。1位に輝いたのは、自然が溢れ教育費や医療費が無料のフィンランド。この調査は、各国の1000人程度に「今の幸せは10点満点中何点か?」を電話やインタビューで聞いた結果だという。国ごとの過去3年の平均値を算出し、人口当たりのGDPや健康寿命の数値なども評価に加味されているランキングだという。しかし日本がつねに50位台にランクされるのが何となく腑に落ちない。例えば、13位のコスタリカでは「生まれたからには幸せであるべきだ」というポジティブな考えが根強く、ほとんどの人が「10点」と回答し、6位のオランダは「7〜8点」と答える人が多い、その理由は「不幸」を感じて生きる事がネガティブであるという国民性がその背景にあるからだという。これに対して54位の日本では多くの人が「5点」と答えている。江戸時代の俳人小林一茶が詠んだ「めでたさも中くらいなりおらが春」の名句のように、日本人は人生というものは幸福と不幸が入り混じった五分五分のものだという考えが昔からあるため幸福度を中くらいの『5点』と回答する人が多かったからだという。ともあれ、幸福の感じ方は人によって様々であり、国連が計算で数値化してランキングすること自体がナンセンスと言わざるをえない。ある仏教学者に「幸福の程度とは、資産を『分子』に、欲望を『分母』にしてワリ算した数値である」という名言があるが、西洋ではこの『分子』である資産を大きくして幸福を増加させようとするが、東洋では『分母』である欲望を減らして幸福を増加させるという東西での考え方に大きな差があると言う。国連が発表した幸福ランキングは、まさに西洋の基準によって評価したものであり現実にはまったく意味を持たないランク付けと言えるだろう。要は、こうした数値化された国連の順位づけなどまったく無視して日本人である我々は、日本流の「幸福の感じ方」をすれば良いのではないだろうか。

 

「花の下にて春死なん」願い通りの奇跡を生んだ中世の歌人「西行」。

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桜咲く季節になると必ず話題に上る「花の下にて春死なん」の歌を詠んだのは平安〜鎌倉時代を代表する歌人西行だ。裕福な武家藤原氏の出でありながら23歳で栄達の道を捨て妻子も捨てて出家し、その生涯の多くを漂白の旅に費やしながら花鳥風月の多くの歌を詠むという自由奔放な生き方を貫いたその人生、西行の歌は八百年の時を越えてなお現代人の心に不思議な力で響いてくる。その西行が「終の棲家」にしたのが河内国(現在の大阪府)の弘川寺だった。「願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ」という有名な歌は恐らくこの地で詠まれたものと思われるが、西行は建久元年(1190年)の陰暦2月15日(きさらぎ)の釈迦の涅槃(入滅した)日に、文字通りに歌に詠んだ桜咲く春、満月(望月)の季節に73歳で大往生を遂げている。自分が死ぬのに理想的な月日を歌に詠み、その望みどおりに亡くなったことから、当時の歌人藤原定家や慈円などがその「奇跡」に感動し、京の都では西行の名は一層の名声を博したといわれている。そんな西行が若い頃に「人造人間を造ろうとした」というエピソードが残されている。寿永2年(1183年)に作られた説話集「撰集抄」に書かれている西行の霊験譚だ。高野山に住んでいた頃(1150年代30代の頃)、野原にある死人の体を集め並べて骨に砒霜(ひそう)という薬を塗り、西行は反魂の術を使って人を作ろうとした。しかし上手く行かずつまらなく思い、その後、人を作ることはなかったという。思い立ったら実行に移す、西行は「人造人間」を作ることは出来なかったけれど、望みどおりに「花の下にて春死なん」の奇跡を起こしてみせた中世の「自由人」と言えるのではないだろうか。