「カウンタック」や「ディアブロ」、「アヴェンタドール」といった数々のスーパーカーを登場させてきたランボルギーニは、今から56年前の1964年にスーパーカーメーカーとして華々しくデビューする以前はトラックや農業用トラクターを生産する会社だった。ランボルギーニが、突如としてスーパーカー業界に参入して成功を収めたキッカケは何だったのか。創業者であるフェルッチオ・ランボルギーニは、農業用トラクターで巨万の富を築くと、富の象徴である高級車フェラーリを手に入れる。しかし、当時のフェラーリにはクラッチに決定的欠陥があり度重なるクラッチ故障に頭を痛めたランボルギーニは、自社のトラクター工場でフェラーリを修理することを思いつく。いざクラッチを分解してみると、使われていたのはなんと自社のトラクター用パーツと同型のクラッチ板であり、しかも全く同じパーツなのにフェラーリはトラクター用の十倍の値段を付けていた。メカニックでも優秀だったランボルギーニは、このクラッチ修理と同時にキャブレターを改善、さらに当時フェラーリに採用されていなかったDOHCに改造し、公道で走ると新型フェラーリを「カモ」にできるほど速いクルマに仕上げる事ができた。これをキッカケにしてランボルギーニはスーパーカービジネスに乗り出す決意をしたといわれている。フェルッチオ・ランボルギーニが経営者であると同時に高度な技術者だった事が、ランボルギーニがスーパーカーの世界で成功できた一番の要因だったと言えるだろう。