ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

世界最長の漂流日数、200年前の小栗重吉の記録をギネスが認定。

世界一の記録を集めたギネスブックに「海上での最長漂流時間」という項目があるが、その最長日数の世界一は、1815 年 3 月 24 日小栗重吉の484日、と記録されている⬆。 ギネスの解説文を読むと「これまで知られている限り、海上で漂流して生き残った最長記録は、日本人船長の小栗重吉とその船員音吉による約484日である。彼らの船は1813年(文化10年)10月に日本沿岸沖の嵐で損傷し、彼らは太平洋を漂流し1815年(文化12年)3月24日にカリフォルニア沖でアメリカ船に救助された。重吉の貨物船は鳥羽と江戸の間で数百袋の大豆を積んでいたが、嵐に遭い船長の重吉はマスト(帆)を切るよう命令した。乗組員は1年4ヶ月に及んだ漂流してる間、積み荷の大豆と蒸留海水で暮らしていたが、救助されるまでに乗組員のうち12人が壊血病で死亡していた」と書かれている。ギネスは、200年以上前の日本人の漂流記録をなぜ公式に認めたのだろうか。その根拠となったのは、1822年(文政5年)に重吉の出身地である三河新城藩の家老が、無事に日本に帰国できた小栗重吉から漂流の詳細ついて聞き取って書き記した「船長(ふなおさ)日記」の英訳本をギネスの記録研究員が読み、484日間の漂流が真実だと2023年に公式に認定したからだ。200年前から事件について詳しく記録して残すという習慣を持っていた日本人、それがギネス記録の世界一認定に役立ったというわけだ。

 

円安介入で2兆円儲かった政府、「国民に返せ」と森永卓郎氏。

経済アナリストの森永卓郎氏(66)⬆が、ニッポン放送の番組に出演。円相場が急変した4月29日の外国為替市場で、政府・日銀が5兆数千億円規模の円買いドル売り介入に踏み切った可能性が高いと発言した。森永氏は「為替介入の正式発表は5月下旬なんですけど、日銀の当座預金というのが発表になって、これが5兆円減っていた。5兆円減ったっていうのは為替介入のほかに使い道は考えられないので、5兆円分為替介入しただろうって」推測、「なぜかメディアはこれを一切報じない、5兆円分売り飛ばしたわけですよ。日銀が過去にドルを仕入れたのが(1ドル100円程度)」だったはずだから3割、4割の儲(もう)けが出ている。ざっくり計算すると為替介入で2兆円くらいボロ儲けしたわけです。これを誰も言わない。でも大人1億人だとすると1人2万円ですよ、夫婦で4万円。(国民に)還元しろよぉ!」と力を込めた。たしかに、森永氏が言うように、円安介入に過去に安く買った手持ちのドルを使えば莫大な利益が出る。これほどわかりやすい話を日本のメディアはなぜ一切報じないのか?さらに、森永氏は「円安介入で儲けたお金は外国為替特別会計というところに隠してあるわけです。これは決算が出るまで、いくら隠してあるか分かんない。増えているんだけど、その残高を公表しないから、まだ分からない。含みも含めたら何十兆円。それを出せよって私は思う。財務省がいけないんです」と批判。これだけ財務省やメディアを国民にわかりやすい言葉で批判し続ける森永卓郎氏、TVのコメンテーターを干されてされてしまっている理由が良く分かる。

 

まだ続くコロナ感染、緑茶で99.9%殺菌できる、米国の実証実験。

コロナウイルス感染症が昨年5月に「5類感染症」に移行してからちょうど1年が経過したが、いまだにコロナ感染者が跡を絶たない。そんな中、米国・ジョージア大学食品安全センターのウイルス学者マラック・エセイリ博士らが、お茶がさまざまな文化圏で呼吸器疾患の治療に重宝されてきた歴史に着目、お茶が口内の粘膜に感染したコロナウィルスにも効果を発揮するかどうかや効果的なお茶の種類を確かめるため、市販の茶葉を使った実験を行った。実験では、ティーバッグ1袋をカップに10分間浸して飲む濃さのお茶を作り、お茶はミルクや砂糖を一切入れないストレートティー。お茶の種類は、「紅茶」「緑茶」「ミントティー」「ユーカリミントティー」「ラズベリージンジャーティー」の5種類。これらを、コロナウィルスが含まれる唾液と混ぜてみたところ、5種類のお茶すべてが10秒以内に96%以上のウイルスを不活性化させることがわかり、最も効果が高かったのは紅茶で、減少率は99.9%に達したという。お茶をうがい薬(洗口剤)として使うことも想定し4倍(4パック)の濃度で作った抽出液で同様の実験をしたところ、5種類のお茶すべてがウイルスを99.9%減らすことが確かめられた。お茶には主にカテキンの形で抗酸化物質のポリフェノールが含まれており、抽出液に含まれているポリフェノールの濃度とウイルスの減少率が深く関係していることが、この実験で証明されたという。「転ばぬ先の杖」ならぬ「コロナにお茶」、外から帰ったら「お茶でうがい」を習慣にしよう。

 

 

パリで起きた北大路魯山人の、怪しい味覚事件。

昭和の「美食家」として知られた芸術家北大路魯山人、その彼の味覚が何とも怪しいというエピソードについて小説「野火」で知られる作家の大岡昇平が「巴里の酢豆腐」というエッセイに記している。今から69年前の1954年、大岡氏は、当時パリで活躍していた画家の荻須高徳と北大路魯山人の3人(⬆上右写真、左から大岡氏・魯山人・荻須氏)で、鴨料理で有名な三ツ星料理店「トゥール・ダルジャン」(⬆上左写真)で食事をした際に、その事件が起きた。トゥールダルジャンでは、名物の鴨料理を出す前に、一旦焼いただけの鴨を客に見せ、それを再度厨房に持ち帰って味付けをする。ところが、魯山人は「それに味をつけることは、余計な手間だ。鴨の持味を殺すようなものだ。そのまま横腹を切って来い」と言い、これに驚いた支配人に画家の荻須高徳さんが「彼は東京の一流料理店主だから」と説明し、味付けする前の鴨をそのまま出させて、日本から持参した醤油と粉わさびで、ただ焼いただけの鴨を「うまい、うまい」と食べたという。しかし、魯山人が食べた鴨は、客に見せるためのサンプルであり、焼いてから時間が経ってすっかり冷めていて美味しいわけがない。大岡は、サンプルの冷めた鴨をわさび醤油を付けて「うまい、うまい」と食べた魯山人を、腐った酸っぱい豆腐を食べて「これは酢豆腐という珍味である」と知ったかぶりをして恥をかく落語「酢豆腐」に出てくる若旦那に例えて「巴里の酢豆腐」と皮肉っぽいタイトルを付けて魯山人を揶揄したのだ。

 

4打数4安打吉田正尚に、手のヒラ返しのコーラ監督の2枚舌。

MLBレッドソックスで、5試合連続でスタメンから外されていた吉田正尚選手(⬆上左)が、カブス戦に6試合ぶりにスタメン出場。大リーグでは2度目となる1試合4安打を記録して勝利に貢献、打率も.269とした。試合後アレックス・コーラ監督(⬆上右)は「吉田は私たちのDH」「スイングはさらに速くなった」と手のひらを返したように吉田選手の活躍をホメちぎった。吉田選手は、21日のパイレーツ戦で日米通算150号アーチを含む4打数3安打2打点の猛打で活躍を見せたのに翌日から、5試合連続でコーラ監督の手でスタメンを外されていた。代わりにDHを努めたのはオニール選手とデバース選手だった。故障などの問題が一切ない吉田選手を外した理由は、この2人の選手との兼ね合いから出場機会を減らしたというのだ。コーラ監督は吉田について「彼はレギュラーのDHだ。昨日はオニールをDHで起用する必要があった。今日はデバースにDHが必要だった。私を悩ませているのはDHが1つだけということ、3つあればいいのだけれど」と吉田選手の5試合連続スタメン外しについて言い訳をし4打数4安打の活躍について「彼のスイングはさらに速く、クイックになった。彼はしっかりと休養を取っていたから、私たちはそれを予期していたよ」と5試合連続スタメン外しが「いい休養になった」と言い訳したのだ。打率.269と打撃上昇中の吉田正尚選手、打率.333のオニール選手、打率.262のデバース選手とのDH三つ巴の激しい争いに吉田選手は結局、己のバットで勝つしか方法はないようだ。

 

ホームレスが消えた日本は再び「経済大国」へ、と外国人記者。

厚生労働省が、今年1月時点の全国のホームレスの人数が前年比8.0%減の2820人だったと発表、2003年の調査開始以降で最低人数となった。これを受けて、アメリカの経済・金融の大手通信社Bloombergが、日本が再び「経済大国」になる予兆が始まったと記事にした。記事によれば、2000年初めから20年間でホームレスの数が90%も減少した現在の日本では、 2月22日、日経平均株価が3万9098円68銭で取引を終えバブル時代の1980年代末に樹立した高値記録を超えた。さらに、半導体で世界のトップシェアを持つ台湾のTSMCの九州・熊本での工場稼働を誘致したり、世界最先端の2nm世代の半導体を量産するとして発足したラピダスへの政府による5900億円の投資、POP産業では世界中で人気の韓国のK-POP産業の 世界的な価値は約50億ドルなのに対して、日本アニメの世界市場は約300億ドルを超えており、今後10年間でさらに2倍以上になる事が予想されている。ソフトパワー産業分野でもストリーミング(ネット配信)のおかげで、日本のニッチなコンテンツが世界中の家庭で見られられるようになり、米国マイクロソフト社はコンピュータゲーム産業をソニーと任天堂に譲ったに等しい状況にある。また、観光では今年は約3,300万人の来日外国人が見込まれており、これは20年前の7倍となる数字だ。日本は、西洋人にとって実に不可解な国だが、つねに進化し、変化し、日本人自身が意識していない忍耐力やパワーを発揮し続けている。「失われた 30 年」は計り知れない時間だが、これほど長く厳しい時間が永遠に続くわけはない、と日本が再び「経済大国」に返り咲く、と予言している。

 

マルコムXは、奴隷の名を捨てマルコムXになった。

1960年代、アメリカで非暴力で黒人差別撤廃を目指し公民権運動を主導したマーティン・ルーサー・キング牧師とは一線を画し、白人に対する敵意をむき出しにして、暴力も肯定し黒人差別と戦ったマルコムX。その個性的なネーミングはどのようにして生まれたのか。無知だった未成年時代、ニューヨークハーレムで、賭博や窃盗などの違法行為に手を染めていた彼は、20歳の時に逮捕され懲役8〜10年の刑で収監されると刑務所内の図書室の厖大な図書を読んで知識を深め白人による黒人奴隷貿易、黒人奴隷制度というアメリカの黒歴史を知ったことで白人憎悪の心情が形成され、自己と黒人を解放する理念を「ネイション・オブ・イスラム」=白人社会への同化を拒否し、黒人の民族的優越を説く宗教運動の中に見出していった。そんな中で自分のマルコム・リトルというアメリカ黒人の「姓」が本来の自分の姓ではなく、白人の奴隷所有者が勝手につけたものにすぎないと気付き、マルコムは1950年12月25歳の時にリトルという名を捨て初めてマルコムXと名乗ったのだ。そして1960年代、マルコムXはイスラムの聖地メッカ巡礼によって「ネイション・オブ・イスラム」の思想の偏狭さに気づき 「パン・アフリカ主義」(アフリカ大陸の住民と全世界に散らばったアフリカ系住民の解放及び連帯を訴える思想)へと大きく舵を切ったことで所属していた「ネイション・オブ・イスラム」の恨みを買い、組織の刺客によって39歳で暗殺された。知識を積み重ねることで自分を絶えず進化させ続けたマルコムX、道半ばにして暗殺された無念の生涯だった。