ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる」31歳で夭折した梶井基次郎。

毎年桜の季節になると「桜の樹の下には屍体が埋まつてゐる!」という衝撃的な書き出しで始まる散文詩を思い出す。1932年3月24日桜の咲く季節に31歳の若さで夭折した小説家 梶井 基次郎(かじい もとじろう)が残した作品だ。「不思議な生き生きとした美しい満開のの情景を前に、「俺」は逆に不安と憂鬱に駆られた。桜の花が美しいのは樹の下に屍体が埋まっていて、その腐乱した液を桜の根が吸っているからだと想像する。花の美しい生の真っ盛りに、死のイメージを重ね合わせることで初めて心の均衡を得、自分を不安がらせた神秘から自由になることが出来ると、「俺」は「お前」に語る」という散文詩。友人の小説家伊藤整は、梶井が「でなければ、あんなに桜の花が美しいわけはないんだ。それだから桜の花はあんなに美しいんだよ」と語った言葉に感嘆したという。伊藤整は、「日本の近代作家の中でこんな美しい幻想を散文に描いたのは梶井しかいない。日本の小説家の作れない種類の美しいイメージがこの作品にはある」と語って居る。近代文学研究者の 鈴木貞美は、梶井のこの散文詩を「美に醜を対置し、美のうちに“惨劇”を見出す虚無的な美意識とその心理が描かれている作品だ」と絶賛した。確かに、日本人は皆サクラの花を見れば、ただ美しいと褒め称えるが、花の美しさに死のイメージを重ね合わせることで桜の花の持つ神秘性を見事に浮かび上がらせた梶井基次郎の才気、素晴らしい「散文詩」だと思いませんか。