ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「能力も運も無い」と自覚したら、百均の王になれた矢野博丈氏死去。

倒産、夜逃げ、ちり紙交換など9回の転職を重ねたあと倒産商品を販売するバッタ屋から100円ショップをスタートさせ「百均の王」になったダイソー創業者矢野博丈氏⬆が80歳で死去した。1991年最初の直営店を香川県高松市に出店してから2023年までに国内4,360店、海外25の国と地域で990店、総売上高5,891億円の大企業ダイソーを育てた矢野氏の「経営哲学」とは何だったのか。出身地広島の国立広島大学で2019年に行った講演をYouTubeで聴いてみると、その経営哲学の一端が伺える。医者の兄から借金をして夜逃げしていた頃、夜逃げ先に兄から連絡が来て東京の高級ホテル「ニューオータニ」に呼び出された。怒られるのを覚悟して会いにゆき借金していたお金の一部50万円を差し出した。すると兄が「本当に返す気持ちが無いから差し出した腕が「くの字に曲がってるぞ」と大笑いされ返金を拒まれたという。しかし、矢野さんは「人道を外したくない」と思い50万円を兄のもとに無理やり置いて帰ってきたという(この時の借金は、東京でちり紙交換業で成功し後に完済している)。転職9回、夜逃げ1回、火事1回と次々と不幸な体験を重ねた矢野さんは、「自分には運がない、能力もない」と自覚し、人道に外れないよう一生懸命に働くことに努めたことが「成功の秘訣」だった、と語っている。「ひゃっきん」というコトバをこの世に残した矢野博丈さん、心からご冥福をお祈りしたい。