ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

何とまあ、「辞世の句」まで絵にしていた葛飾北斎。

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卒寿90歳まで長生きした江戸時代を代表する浮世絵師の葛飾北斎。「葛飾北斎伝」(飯島半十郎1893年)に書かれている北斎の臨終の場面「嘉永二年、翁(北斎)病に罹り、医薬効あらず、是よりさき醫師、竊に娘の阿栄に謂て曰く、老病なり、醫すべからずと、門人および奮友等来りて、看護日々怠りなし、翁死に臨み、大息し天我をして十年の命を長ふせしめばといひ、暫くして更に謂て曰く、天我をして五年の命を保たしめば、真正の画工となるを得べしと、言吃りて死す」。現代語に訳すと、「死を目前にした翁(北斎)は大きく息をして『天があと10年の間、命長らえることを私に許されたなら…』と言い、しばらくして、さらに、『天があと5年の間、命を保つことを私に許されたなら、本物の画工になり得たであろう…』とたどたどしく言いながら死んだ」となる。「葛飾北斎伝」には、上記の文章と共に、北斎の「辞世の句」が書き残されている。「人魂で 行く気散じや 夏野原」(⬆上図参照)。現代語に訳せば、死んだら「人魂になって夏の原っぱにでも気晴らしに出かけようか」というところだろうか。北斎の燃える魂が、夏の夜、原っぱに浮遊している図が目に浮かぶ、北斎らしい「絵になっている辞世の句」だと想いませんか。