ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「江戸中を火の海に」勝海舟の「脅し」に屈した西郷隆盛。

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幕末慶応4年(1868年)に、明治新政府軍と旧徳川幕府との間で行われた「江戸城」の新政府への引き渡し「江戸無血開城」。新政府側の西郷隆盛と旧幕府側の勝海舟の明け渡しに至るまでの会談⬆は小説やドラマで多く語られているが、西郷隆盛率いる官軍が、江戸城総攻撃の準備を進める中、勝海舟はどうやってこれを防いだのか。勝海舟は西郷に対して「江戸焦土作戦」という「脅し」をかけたからだと言われている。勝は焦土作戦を準備するにあたって、友人だった 江戸火消しの元締め新門辰五郎の伝手を頼り、町火消組、鳶職の親分、博徒の親方らの家を自ら回り協力を求めたという。勝は後年、「西郷との談判に臨むにあたってこれだけの準備があったからこそ相手を呑む胆力が生じた」と回顧している。官軍が攻め込んできたら江戸市中を火の海にして、官軍の進撃を止めるとともに、江戸の町を焼き払うことによって、占領する価値をなくす、という勝海舟の西郷隆盛に対する「脅し」、江戸市中に火を放つとなると、新政府軍による攻撃で生ずる被害よりさらに被害が拡大することは必至。それも、官軍の進撃が引き金となったとあれば、官軍に対する江戸市民の悪感情を拭い去ることはできなくなる。賢明な西郷がここで折れて、江戸城総攻撃は中止せざるを得なくなったという。「江戸中を火の海にする」という威勢のいい啖呵を切って見せた江戸っ子勝海舟の「相手を呑む胆力」が、ドラマチックな「無血開城」を実現させたのだ。