ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

江戸時代、幽霊の画で「涼んだ」粋な落語家三遊亭圓朝。

猛暑が続く中、東京・谷中にある寺・全生庵で毎年8月の1ヶ月間開催されている「幽霊画展」を見てきた。江戸末期に活躍し、多くの名作落語を創作した落語中興の祖とされる三遊亭圓朝が、怪談創作の参考にするために収集した幽霊画30点のコレクションだ ⬆。圓朝が収集した作品は、円山応挙、柴田是真、菊池容斎、松本楓湖、伊藤晴雨、河鍋暁斎など、幕末期を代表する著名な画家達の筆による大変ユニークな幽霊画作品が揃っている。エアコンなぞ無かった江戸時代の夏、「幽霊画」を室内に飾って涼をとった粋人落語家三遊亭円朝、敬意を込めて「大圓朝」とも呼ばれている。明治時代、二葉亭四迷が小説『浮雲』を書く際に圓朝の落語口演筆記を参考にしたとされ、明治言文一致運動にも大きな影響を及ぼした。『真景累ヶ淵』『牡丹燈籠』など怪談話を創作し得意とした圓朝は、噺にいかに凄みを出すかにも腐心した。今日でも怪談噺の定番演出となっているおどろおどろしい鳴り物も圓朝が独自に考案したものだ。ある日、江戸無血開城の立役者であり全生庵を創建した山岡鉄舟から「舌ではなく心で語らなければ噺は死ぬ」と説かれた圓朝は、2年に及ぶ「座禅」によって「無舌(むぜつ)の悟り」を開き、京都・天竜寺の滴水禅師から「無舌居士」の号を得た。死後、三遊亭円朝の墓石には「無舌居士」という戒名が刻まれた。