ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

ピカソを65年前に訪ねた魯山人は、ピカソの芸術をバカにした。

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美食家としても有名な陶芸家北大路魯山人は、65年前の1954年にアメリカのロックフェラー財団の招きで渡米し陶芸作品の展示を行った後にヨーロッパに渡り、南仏にあったピカソのアトリエを訪問した。180cmを超える大男だった魯山人が163cmと小柄なピカソから少し離れて写ってる⬆上の写真。その理由を尋ねられた魯山人は「並ぶとピカソが貧弱に見えるから離れて撮ったんだ」と言ったそうだ。アトリエの中では同じデッサンを何枚も描き散らしてあるのを見て「ピカソは何回も同じことを繰り返すうちに頭が狂ってあのような異常な作品が生まれるのだろう」と魯山人は思い、ピカソに見せられた鉄製の彫刻作品(⬆上の写真中央)については「全然大したものだとは思わなかった、こんなもんをいかにも傑作のように話をするのはピカソ一流のハッタリだと警戒しながら眺めた」という。「ヨーロッパではピカソのようにバシンと出るとみんな引っかかるんだね。彼は絵が下手で美がない、色が汚い、線が下手クソだ。思想の文字を書くところを絵で描いているのだろうか」いやはや天下の魯山人にかかればピカソは三流の画家に見下げられてしまう。権威を真っ向から否定する魯山人のこうした態度は、この翌年、織部焼の重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されると頑なにこれを「固辞」した態度にも現れている。作陶について魯山人が常々口にしたのは「百年先の知己を持つ」という言葉だった。自分が今している作陶は百年先の審美眼を持った人々のため、つまり百年先の未来での評価を見据えた姿勢を貫き通した魯山人の美の「探求心」、死後60年たった今、すでに彼の作品は多くの人々に高い評価を受ける「銘品」になっている。