『走れメロス』『津軽』『人間失格』『斜陽』などベストセラー小説を次々と書いて戦後日本を代表する文豪とされる「太宰治」⬆。彼の最終学歴は、東京帝国大学仏文科中退となっているが、太宰は実は入学試験を受けずに東大に入学していたのをご存知だろうか。青森県で生まれ育った太宰治は1927年(昭和2年)旧制弘前高等学校文科甲類に入学したが1930年(昭和5年)同校を76名中46番の成績で卒業、フランス語をまったく知らぬまま東京帝国大学文学部仏文学科に入学するために上京した。当時の東大仏文科は学生達にほとんど知られてなく無試験で入学できることを太宰は知っていたからだ。太宰はそれを当て込んで仏文科に入学願書を提出したが、たまたま1930年は仏文科でもフランス語の試験があった。アテが外れた太宰は、試験場で手を挙げ、試験官だった辰野隆助教授 に「僕はフランス語はできません。英語の答案を出しておきますが、試験は合格させて下さい。」と伝えたという。助教授・辰野隆は困惑して、太宰に「嘆願書」を書くように命じ、嘆願書を受け取った試験管の辰野は、苦笑いしながら、太宰をパスさせたという。こうして東大に無事入学を果たした太宰だったが、講義について行けず1単位も取れないまま5年後の1935年(昭和10年)9月30日付で東京大学を除籍となっている。無頼派の作家と呼ばれ、自己破滅型の小説家であった太宰治が、「東大」という学歴に憧れていた事実は、何となく滑稽に見える、と思いませんか?