ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

大相撲不滅の69連勝、片目失明を隠して達成した横綱双葉山。

江戸時代に始まった大相撲の長い歴史の中で、未だに破られていない不滅の大記録69連勝を1939年に成し遂げた第35代横綱双葉山定次⬆。江戸時代1782年(天明二年)の横綱谷風の63連勝、戦後の記録では、1988年千代の富士の53連勝、2010年白鳳の63連勝があるが、いずれも双葉山の連勝記録には及ばない。しかも、不滅の大記録を打ち立てた横綱双葉山は引退後、幼い頃から片目を失明していたと告白した。5歳の時に遊び友達の放った「吹き矢」が右目に直撃して負傷し、右目を失明したのだという。双葉山の現役時代そのことについて知る力士はほとんどいなかった。片目が見えないというのは力士としては致命的なハンデキャップだったため、双葉山はこの事実を隠し通して、ハンデを強さに変える努力を重ねた のだ。例えば「後の先を取る」つまり立ち会いで遅れたかのようにして相手の「まわし」を先に取る、できるだけ目に頼らず、組んだ相手の体の動きを感じ取り、スキをうかがい技をかけるという「必勝法」を身に着けたのだ。立ち会いで相手の動きを瞬時に捉え受けて立つ相撲に徹した双葉山の相撲は無駄のない取り口と評されたが、片目が見えないハンデを克服するために編み出した取り口だったのだ。そんな双葉山でも70連勝をかけて臨んだ相撲で、西の前頭3枚目の安藝ノ海に外掛けで土をつけられ連勝記録がストップしてしまう。敗因について、双葉山は失明と同じく一切黙して語らなかったが、引退後に 当時「アメーバ赤痢」に感染して体重が激減するほど体調を崩し、休場を考えていた中での敗北だったことを打ち明けた。