ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

わが子を平気で殺す若い夫婦、「間引き」の歴史は生きていた。

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ニュースで毎日のように繰り返し報道されている我が子の虐待や子殺しの悲惨な話にはつい耳をふさぎたくなる。なんの罪もない我が子をなぜ死に至らしめるのか、その鬼畜のような親の考えが理解できないと誰しもが思うが、よく考えてみれば我が国の歴史の中で「我が子殺し」が実はつい100年前まで存在していた。江戸の昔から大飢饉が起こるたびに「飢え」から逃れるために子供の「間引き」は平気で行われていたことは歴史の教科書にも載っている。⬆上の絵は、母親が生まれたての赤ん坊の口を塞いで「間引きしている」図でこれは我が子への罪滅ぼしの意味を込めて親がお寺に奉納した絵馬なのだという。民俗学者柳田國男は、この絵馬を幼いころに見たのをきっかけに日本の民俗学に目覚めたという話は有名だ。では、昔に比べて飢饉などまったく心配のなさそうな現代社会の中で若い親達はなぜ繰り返し我が子を「間引く」のだろうか。現代社会を生きている若い親達の一部には今の社会状況があたかも「大飢饉」の真っ只中で自分達が暮らしているような錯覚に陥ってしまう愚かな親達がいるのだ。心の中に荒涼として冷たい風が吹きすさみ、自分達だけがまるで砂漠で迷う子羊のように思えてきて、「飢え」た自分のこころから逃れるために幼い子供に手をかけるというわけだ。こうした愚かな若い親達を法律で処罰するだけでは同じ様な事件が絶える事は決してないだろう。彼らの「飢え」を満たせるような心のケアをする社会のサポート体制づくりこそが、いま一番必要なのでは無いだろうか。