ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

1978年ABBA、スェーデン輸出金額で自動車ボルボを上回った。

「ダンシング・クイーン 」「チキチータ 」「マンマ・ミーア 」「マネー・マネー・マネー」「ヴーレ・ヴー」「恋のウォータールー」など数え上げればキリがないほどのヒット曲で、1974年から1982年まで、世界中の音楽チャートを席巻し続けたスェーデン生まれのポップ・グループABBA。アイネッタビョルン、ベニーアンニ=フリッド4人の頭文字をとったABBAというネーミングも個性的だった。北欧の小国スェーデン発なのに、なぜ彼らは世界中のPOPファンをトリコにしたのだろうか。その理由は、ABBAが自分の国にはない「高揚感みなぎる煌びやかなサウンド」を常に求めて作曲したからだ。例えば、世界中が熱狂した「ダンシング・クィーン」の音作りでは、マイアミ・ソウル歌手のジョージ・マクレーの大ヒット曲“Rock Your Baby”をヒントに、リズムのベースを作り、ドクター・ジョンのアルバム「GUMBO」を参考にして複雑なドラム・パターンを練り上げ、あのメガヒット曲を完成させたといわれている。世界中のサウンドを独自のセンスでパッチワーク(つぎはぎ)し、アグネッタとフリーダのハイピッチ・ボーカルで世界中をトリコにするABBAのきらびやかなサウンドが魔法のように次々と生れたのだ。人気絶頂期だった1978年の時点で年間総収入は1600万ドル(約30億円)を超え、スウェーデンの主力産業である大手自動車メーカーのボルボ・グループ以上の外貨を稼ぎだし、ABBAそのものが「産業」であるといわれた「伝説」が残っている。