ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

リリー・マルレーンは、マレーネ・ディートリッヒの歌じゃ無かった。

名曲「リリー・マルレーン」と言えば、マレーネ・ディートリッヒの名前が出てくるように、彼女の代表曲とされている⬆が、1939年2月にドイツで録音され前線に居たドイツ兵士の間で熱狂的に支持されたドイツの女性歌手ララ・アンデルセンが歌った「リリー・マルレーン」が元歌だ。ではマレーネ・ディートリッヒが歌った「リリー・マルレーン」がなぜ彼女の代表曲になったのか。1930年にドイツから米国に渡ったディートリッヒは、第2次世界対戦の戦時体制の中で祖国ドイツをナチの支配から解放するために、ハリウッドの全部の仕事を断って前線の兵士慰問に打ち込んだ。ディートリッヒが訪れた北アフリカ前線では既に敵味方の分け隔てなく、「リリー・マルレーン」が歌われていた。 この歌を前線で初めて耳にした彼女はすっかり気に入り、曲名が自分のファーストネームと同じという奇縁もあって、以後、どの前線でも彼女はこの曲を歌い、ディートリッヒの「リリー・マルレーン」は戦場の兵士の口から口へと歌い継がれていった。北アフリカの野戦病院で、俘虜になったナチの傷病兵たちを見舞った際、本当にディートリッヒなのかと半信半疑で尋ねるドイツ将兵たちの前で母国ドイツ語で、彼女は心をこめて「リリー・マルレーン」を歌った。 「♬地獄のような戦いに 身を捧げて傷ついて倒されたあなたは最後に叫んだ いとしい リリー・マルレーン いとしい リリー・マルレーン」まだあどけない幼な顔を残した若いドイツ兵の頬を、涙がとめどなく流れ落ちていったという。デートリッヒの名曲「リリー・マルレーン」YouTubeでぜひご視聴あれ。