ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

鎖国の江戸時代、初めて世界一周した日本人4名。

我が国が鎖国していた江戸時代に、何と世界一周した日本人が居たことをご存知だろうか。寛政5(1793)年11月、東北の石巻港から江戸に米を運んでいた仙台藩の廻米船「若宮丸」が、暴風雨のため遭難。津太夫ら16人の乗組員は、北太平洋のアリューシャン列島の一小島に漂着する。そこからロシアの役人の案内で寛永8(1796年)年にシベリアの中心都市イルクーツクに到着。一行がここに到るまで実に3年もの歳月が経過していた。その間に3人が亡くなり、残された漂流民は13人になっていた。さらにイルクーツクで7年を過ごしたあと、津太夫らはロシアの首都サンクトペテルブルクに呼び出され到着したのは享和3(1803)年4月のこと。首都に向かう旅の途中で3人が病気で離脱したため、若宮丸の乗組員は10人になっていた。津太夫らはロシア皇帝アレクサンドル1世に謁見、皇帝から帰国の意思を問われて6人が残留を希望し、津太夫、儀兵衛、左平、多十郎の4人が帰国を希望した。同年6月、津太夫ら4人は、世界周航船ナジェージダ号に乗り込みロシアから旅立つ。ナジェージダ号は、大西洋を南下。南米大陸を南から回って太平洋に出ると、ハワイ島、カムチャッカ半島を経て、文化元(1804)年9月6日に日本を出てから11年後、世界を一周して長崎に帰国した。江戸で2ヶ月間の取り調べを終え、文化3(1806)年2月に津太夫ら4名は実に12年ぶりに故郷の仙台藩に帰ってきた。帰国した年に、多十郎36歳、儀兵衛45歳は病死、津太夫は帰郷から8年後に70歳で、左平は帰郷後23年の歳月を長生きして67歳で亡くなった。