ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

北大路魯山人を白洲正子は、ナゼ殴ったのか。

エッセイスト・評論家の白洲正子は、北大路魯山人の「陶芸」をこよなく愛し絶賛していたが、「ただ一度だけだが、昔、私は魯山人をなぐったことがある」と自らの著書の中に書き残している。ある催しで、白洲正子が着ていた紅葉柄の着物に魯山人が墨で「書」を入れることになった、正子が着物を脱いで魯山人に渡し、長襦袢(洋服の下着姿と同じ)姿になったのに、魯山人は途中まで書いたところで、もったいぶって筆を止め、30分ほど最後の仕上げをしなかった。「こちらは衆人環視の中で長襦袢一枚でふるえているのである。ついに(私は)癇癪を起こして、(魯山人に)もろに一発食らわせてしまった。魯山人は女になぐられたことは一度もなかったらしく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔つきをした」。「女性蔑視」とも取れる魯山人の白洲正子に対するこのふるまいは、魯山人の不幸過ぎる「生い立ち」に起因するのではなかろうか。魯山人は、京都上賀茂神社の社家を務める「北大路家」の次男として生まれたが、母の不倫による子であったため、父はこれを恥じて入水自殺で他界、母は北大路家を離縁され、魯山人は生まれながらにして一身に不幸を背負うことになった。生涯で5度の離婚を経て孤独の中で死んだ魯山人の「女性蔑視」の性癖は、不倫して自分を産んだ母に対する「恨み」が、その根底にあったためと思われる。