
1970年台からファッションデザイナーKENZO、ISSEY MIYAKEなどがパリコレクションに進出して、日本人デザイナーに世界の注目が集まるようになってきた1981年にパリコレにデビューしたコムデギャルソンの川久保玲とヨウジヤマモトの山本耀司は当時ファッションの世界ではタブーで禁欲的とされていた「黒」を基調とし、体のラインを隠すようなダボっとしたシルエット、穴が空いたりアンシンメトリーな通称「ボロルック」でパリに革命的な衝撃を与えた。ぼろぼろの山本と川久保のノンセクシュアルルックは、当時、「背筋がさむくなる」「原爆に当たってきれぎれになったような世も末の服」「まるで核戦争で生き残った人の服のよう」などどメディアに「ヒロシマシック」と揶揄された。そして、翌年の1982年、パリコレで伝説の黒服を発表。パリ・オートクチュールを頂点とする世界のモード界を震撼させた川久保の「黒服、穴あきニット(Hole Sweater)」は「黒の衝撃」と呼称され、世界中のファッション・ジャーナリストの間で「西洋の服への冒涜!」とする否定派と「新しい美しさの提案」と賛美する派の両論を巻き起こしたのだ。黒といえば「喪服」のイメージが定着していた日本で、ヨウジヤマモトと川久保玲が登場した以降、「黒のファッション」で身を包んだ「カラス族」が若者の間で「お洒落の代名詞」となったのだ。