

江戸時代後期の戯作者で、ヒット作品『東海道中膝栗毛』の作者として知られた十辺舎一九⬆️。読者の嗜好をいち早く察知し、先行作品を巧みに脚色編集する能力に長けていて、総作品数は580種を超え、滝沢馬琴と並ぶ江戸期文学史上の最多作者とされる。また、戯作の執筆のみで生計を立てた最初の作家とも言われ、享和2年(1802年)に出した『東海道中膝栗毛』が大ヒットして一九はいちやく流行作家となった。当時の生活について「最近ではいつも出版元から係の人がきて、机の横で原稿ができあがるのを待ってます」と、現代の流行作家にも通じる日々について描写している。しかし、文化7年(1810年)46歳のときに眼を病み、しばしば再発した。文政5年(1822年)58歳のときに中風を患い、晩年は創作には手を出さず、飲酒により身体に不自由をきたし、天保2年(1831年)8月7日、67歳で没した。辞世の句は「この世をは とりやお暇に線香の 煙とともに灰さようなら」。人気戯作者一九らしいユーモアあふれる「辞世の句」だが、火葬にされる際、一九が予め体に仕込んでおいた花火に点火し、それが打ち上がったという逸話が残されている。しかし、これは「辞世の句」をヒントにした落語家の初代 林屋正蔵による後世の「作り話」であるとされている。