ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

近親相姦、自分の「体験」を小説にした文豪、島崎藤村。

1900年代、小説「破壊」や「夜明け前」など我が国の自然主義文学の旗手であった島崎藤村⬆️。その彼が41歳頃に当時20歳の姪を妊娠させ、パリへ逃亡した一部始終をほぼ実名で告白した私小説「新生」をご存知だろうか。教職を辞し、『破戒』や『春』といった小説で高い評価を得ていた1910年(明治43年)に妻・冬子が亡くなり、4歳の長男を筆頭に4人の子どもを男手ひとつで育てなければならなくなった藤村は、次兄・広助の次女こま子⬆️に頼んで身の回りの世話の手伝いに来てもらう。やがて藤村は若く瑞々しい肉体を持つこま子に欲情し、叔父と姪の血縁であるにもかかわらず関係を持ってしまう。しかし、こま子の妊娠が発覚すると、1913(大正2)年に「留学」という名目でパリへと逃亡する。こま子は藤村の外遊中に出産し、生まれた子どもは次兄・広助によって里子に出された。その後、1916(大正5)年までの約3年間、藤村はパリで過ごしている。しかし、パリから帰国した藤村は、なんとこま子とよりを戻してしまう。これを知った次兄・広助は流石に怒って藤村に絶縁を告げたという。そして、こま子は台湾にいる伯父秀雄(藤村と広助の長兄)のもとへと引き取られ、ふたりは完全に別れることとなった。島崎家の長兄・秀雄によれば、実は藤村の父親も実の妹と関係があったことが明かされ、「近親相姦」は、島崎家の遺伝子DNAの所為だったと判明したのだ。