ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

無名の画家だったゴッホ、死後なぜ有名になれたのか。

フィンセント・ファン・ゴッホ。20世紀を代表する有名なこの画家は、生前に売れた作品がわずか1点という、まるっきり無名の画家だった。ゴッホは1853年生まれで1890年に37歳で亡くなったが、その人生の中で画業を本格的に実践していたのはわずか10年間ほどだった。そしてゴッホ独自のスタイルを完成させてから5年。当時の画壇の評価を決定づける「展覧会への出品」を始めたばかりの時期に、ゴッホは早逝してしまった。そんなゴッホがなぜ死後に高く評価され有名な画家になれたのか。それはゴッホの死後、ゴッホの弟テオの嫁ヨハンナ(⬆️右)が、ゴッホと弟テオがやり取りした膨大な量の手紙(⬆️左)を編集し発売したからだ。ヨハンナのねらいは、ゴッホについて既に世間に広まっていた精神異常者説を否定して、ゴッホ絵画の芸術的価値を引き上げようとする目的だったとされている。フィンセント・ゴッホの義妹で、ゴッホの実弟テオの妻であったヨハンナ。ゴッホ兄弟が相次いで亡くなった後、彼女は膨大なゴッホ作品を受け継ぎ、作品の普及に生涯を捧げた。「ゴッホの手紙」の編纂に加えて、堪能な語学力を活かして世界各地での展覧会の開催、有力な画商や顧客に対する男勝りの販売方法で成功を収めた。こうしたヨハンナの功績によって、ゴッホは死後に「20世紀でもっとも優れた芸術家の一人」という評価を確立できたのだった。