
500年以上前の室町時代に活躍した水墨画家・禅僧の「雪舟」は、中国画の模写から脱した日本独自の水墨画風を確立した点で、その功績は大きく、残した作品のうち『天橋立図』『秋冬山水図』『四季山水図巻』『破墨山水図』『慧可断臂図』『山水図』の6点が国宝に指定されており、日本の絵画史において別格の高評価を受けている画家だ。雪舟と言えば、文芸を学ぶために宝福寺に入った幼い日の雪舟についてのエピソードは誰でもが知っている有名な話だろう。絵を描くことばかり好んで経を読もうとしない幼い雪舟を、寺の僧が仏堂の柱に縛りつけてしまう。すると、雪舟は床に落ちた涙を足の親指につけて床に鼠を描き、僧はその見事さに感心し、雪舟が絵を描くことを許したという。この話の出典は、江戸時代に狩野永納が編纂した『本朝画史』(1693年刊)で、ネズミの絵を足の指で描いたという話は、後年江戸時代に創作されたという説が有力だ。 雪舟の神格化は江戸時代に始まったとされている。当時画壇を支配していた狩野派が、雪舟を師と仰ぎ、ゆえに諸大名が雪舟の作品を求めたからであるとされる。そのために「雪舟作」と号する作品が江戸時代に急激に増えたとも言われている。雪舟は、今や日本を代表する歴史人物の一人とされているが、その作品は贋作があまりにも多いことでも有名だ。