
ハイドンやベートーヴェンと同じく古典派音楽・ウィーン古典派を代表する天才作曲家モーツァルト(⬆️右)は、35歳の若さで死去した。モーツァルトは1791年7月 妻への手紙に「私を嫉妬する敵がポーク・カツレツに毒を入れ、その毒が体中を回り、体が膨れ、体全体が痛み苦しい」ともらしており、当時は遺体のむくみが毒殺の証拠だと考えられていて、モーツァルトの遺体がひどくむくんでいたため、「毒殺説」の噂が一気に広まった。その犯人と噂されたのは、当時のウィーンでオーストリア皇帝に仕える宮廷楽長としてヨーロッパ楽壇の頂点に立っていたイタリア生まれの作曲家アントニオ・サリエリ(⬆️左)だった。1820年代のウィーンでは、サリエリがモーツァルトから盗作したり、毒殺しようとしたと非難するスキャンダルが起きていたが、何一つ証拠のない噂話しに過ぎず、実際には、サリエリがモーツァルトのミサ曲をたびたび演奏し、『魔笛』を高く評価するなど、モーツァルトの才能を認めて親交を持っていたことが明らかとなっている。1791年のモーツァルトの死に際してサリエリは葬儀に参列し、1793年にはモーツァルトの遺作『レクイエム ニ短調 K. 626』を初演している。しかし、「毒殺説」の疑いが晴れないままのサリエリは、重度の抑うつ症となり、自分の喉を切ろうとしたり1825年に彼が死ぬまでずっーと悩まされ続けていたという。モーツァルトの本当の死因は、ウィーン市の公式記録によると、「リューマチ性炎症熱」であったとされている。