ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

ジョン・レノン「イマジン」を名曲にしたオノ・ヨーコのmajic。

ジョン・レノンの代表曲といえば、ほとんどの人が条件反射的に『イマジン』と答えるに違いない。しかし、この曲がジョンの他の作品よりも高く評価されるようになったのは、この曲が1971年に発表されてから9年後の1980年12月8日ニューヨークの自宅前でジョンが銃撃され亡くなってから後のことだ。ジョンが他界した6日後。未亡人となったオノ・ヨーコの呼びかけで開かれたニューヨークの追悼集会で、黙祷の終わりを告げた曲が、この『イマジン』だった。 それから約1か月後、イギリスでは5年前に出されていた『イマジン』のシングル盤が、チャートを急上昇してはじめて1位となった。さらに、10年後ジョン50回目の誕生日を迎えた1990年10月9日、オノ・ヨーコはニューヨークにある国連の議場に招かれ、「一人の夢はただの夢、皆の夢は現実となる」とスピーチして喝采を浴び、『イマジン』が議場に流れる様子が世界130カ国にテレビ中継された。そして、『イマジン』が世紀を越えて歌い続けられる一番の契機となったのは、発表からさらに30年後2001年9月11日に起きた同時多発テロだった。犠牲者への追悼コンサートが開かれた9月21日、ニール・ヤングが歌った『イマジン』が大きな反響を呼んだ。その2日後のニューヨークタイムズには、広告主の名もないこんなメッセージ広告が掲載された。 Imagine all the people living life in peace(想像してみよう、みんなが平和に暮らしているところを)、ニューヨークタイムズ社にはすぐに多くの問い合わせが入り、この広告主がオノ・ヨーコであるとすぐ分かった。これをきっかけにして、ジョン・レノンの「イマジン」が平和を訴えるメッセージ・ソングとして世界中の人々に広く知れ渡るようになったのだ。