ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

【閲覧注意】女盗賊・雷お新の、遺言で剥がされた全身入墨の皮フ。

「虎は死して皮を残し、人は死して名を残す」ということわざがあるが、明治時代初期、自分の皮膚を剥いで標本にするよう言い残し、その名を残した女盗賊・雷お新をご存知だろうか。明治2〜3年頃、当時女性では例が無い全身刺青の女盗賊「雷お新」の名前は大阪中に知れ渡っていた。お新の背中には、武将の浮世絵「北条時政」、尻には竜、股から腿にかけては岩見重次郎の大蛇退治の図、腹には『水滸伝』の豪傑のひとり九紋龍史進(くもんりゅうししん)、右腕には金太郎、左腕には4名の人物画と全身に隙間なく、豪華絢爛な刺青が施されていた。お新はその美貌を武器に、金持ちを宿に誘い込み、やおら着物を脱いで全身の刺青を見せつけて脅しては金を巻き上げていた。あの初代の総理大臣伊藤博文も、お新の被害にあったといわれている。1874(明治7)年、お新は25歳で逮捕され、ついに監獄に入れられたが、1882(明治15)年、暴風雨の日に脱獄。その後は、大阪から東京へ拠点を移して窃盗や恐喝で繰り返し逮捕されたが、1890(明治23)年、40歳の若さで流行り病にかかり、この世を去った。遺言は、「皮膚をはいで入れ墨を残してくれ」だった。遺言によってお新の全身の皮膚は 解剖医によって剥がされ、見事な入れ墨の入った皮膚の標本⬆は、大阪医学校(大阪医科大学の前身)で保存された。その後、お新の「入れ墨標本」は、「帝国衛生博覧会」などに何度も出展され世間の注目を浴びていたが、第2次世界対戦の混乱の中で現在は所在不明となってしまっている。