南米ペルーで日系人として初めて大統領に就任し、1996年首都リマで起きた武装ゲリラによる日本大使公邸人質事件で救出作戦を陣頭指揮して成功させたアルベルト・フジモリ元大統領⬆が86歳で亡くなった。2000年側近の汚職事件で国民の怒りを買ったフジモリ氏は日本に亡命、日本とペルーの二重国籍を有する人物として日本政府は亡命を許可しフジモリ氏の日本への亡命は5年に及んだが自らの意思でペルーに帰国、禁錮25年の刑に処せられたが持病の悪化などで2023年恩赦によって自由の身となっていた。大学教授から大統領になったフジモリ氏は、就任当初から日系人であったため、その出生地について「疑惑」を持たれていた。その為、ペルー以外で生まれた人物は大統領になれないペルーの法律を踏まえ、「フジモリ氏は日本生まれ」とメディアに叩かれたのだ。メディアの調査で、生まれ故郷とされたラ・ビクトリアの教会に残る「洗礼証明書」には、出生地の欄に消されたあとがあり、そこにミラフロレス(首都ミラ)の文字が上書きされていた、というのだ。しかし、フジモリ氏の誕生日や出生地住所を間違えるなど取材記事がズサンだったことが幸いしてこの疑惑は大きな騒ぎにならなかった。さらに、フジモリ氏が学生だった頃、米国ウィスコンシン大学に留学するのに日本のパスポートを使った疑惑が報道されたが、日本大使館や日本の外務省がペルー側の取材を拒否したため、裏付けが取れずウワサは終息した。日系人初の大統領の出生地は日本なのかペルーなのか謎を残したままで亡くなったフジモリ氏、御冥福を祈りたい。