ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

マシュケナダ大ヒットのセルジオ・メンデス新型コロナで死亡。

ボサノバの名曲「マシュ・ケ・ナダ」で知られ、日本でもファンが多いブラジル音楽界の巨匠セルジオ・メンデスさん⬆が、新型コロナによる肺炎で死去した。83歳だった。セルジオ・メンデスの名を世界に広めた「マシュ・ケ・ナダ」の曲名の意味は、ポルトガル語で、「よう、どうしたんだい?」とブラジルで良く使われるファンキーな挨拶ことば。1963年にブラジル人シンガー・ソングライターのジョルジ・ベンが作曲し、その3年後、ボサノバを世界に広めようと米国ロサンゼルスを拠点としていたセルジオ・メンデスがカヴァーし、大ヒットを記録した。ブラジル音楽ボサノバのサウンドが米国で受け入れられ大ヒットしたのはセルジオが米国で身に付けたジャズ・センスに溢れたピアノ演奏によるものと言われている。 セルジオ氏は、また大の親日家としても知られ 「日本を初めて訪れたのは1963年のことだ。それからずっと日本が大好きだし、何度でも行きたいと思える世界唯一の国だよ」と語っている。1971年、日本武道館でセルジオ・メンデス&ブラジル’66として“マシュ・ケ・ナダ”を演奏、この他。、1970年の大阪万博でのコンサートや、CMソング“がヒットして沖縄から北海道まで2カ月にわたる全国ツアーも行っている。名曲「マシュ・ケ・ナダ」が子供にまで愛された理由について、セルジオさんは、イントロの5音で軽やかに曲に入っていける聴き安さがその理由、と述べている。ブラジル音楽ボサノバを世界に知らしめたセルジオ・メンデスさん、御冥福を祈りたい。