明治維新後、500の企業を育て、600の公共事業に携わった実業家で我が国の「資本主義の父」と呼ばれた渋沢栄一が肖像画に用いられた新1万円札がいよいよデビューした。渋沢の生涯を辿ったNHK大河ドラマ「青天を衝け」で幼馴染でいとこ同士だった千代と安政5年(1858年)18歳の時に結婚した後、徳川昭武の随員としてフランスに2年間滞在した間パリジェンヌに惚れ込み日本へ連れ帰ろうとし拒絶された逸話があるように渋沢は生来「女好き」だったのは有名な話だ。当時の渋沢家には、正妻の千代と一つ屋根の下でともに暮らすお妾さんもいたという話は令和の現代に暮らす私達にとっては想像しがたい話だろう。江戸から明治に時代が移った明治4年、渋沢が31歳で大蔵省大阪造幣局に赴任していたときに出会った大内くにという女性を現地妻とした渋沢は、再び東京へ戻る際に連れ帰り、正妻の千代と共に神田の自宅にくにを同居させた。しかも千代とくにの2人はほぼ同じ時期に渋沢の子どもを産んでいるのだから驚きだ。その頃に撮影した写真⬆を見ると、正妻の千代の横に並んだ妾のくにも臆面のない実に堂々とした写りっぷりだ。正妻と妾とが同居する生活が11年続いた明治15年(1882年)正妻の千代がコレラで亡くなり渋沢が芸姑の兼子を後妻に迎えようとした際には、くには猛反対したという。後に、くには渋沢の元を離れて、渋沢の友人である織田完之の後妻となったという。明治時代「一夫多妻」を平然と行っていた渋沢栄一の豪放磊落なその生き方に、昭和生まれの自分は、新1万円札を眺めながら感嘆しきりだ(笑)