二十世紀絵画に革命をもたらした偉人であるパブロ・ピカソ。彼を神様のように信奉する人が多い中、日本が生んだ陶芸家・画家・料理研究家の北大路魯山人は、1954年ピカソのアトリエを訪ねたあとに「俺の方がよっぽど大芸術家だということがわかったよ」と豪語した。南仏ヴァロリス にあったピカソのアトリエを訪問した魯山人⬆は、挨拶を終えると持参した自分の陶芸作品をピカソに手土産として手渡した。すると、ピカソはおもむろに魯山人の作品が納められた桐箱を手に取ると、初めて見たその桐の木肌のなめらかさに魅了され、歓喜に上気しながら桐箱の美しさについて褒めたたえ始めた。その様子をイライラしながら見ていた魯山人は、沸き起こる怒りを抑えることができず、なんと、大声の日本語でピカソを怒鳴りつけたのだ。「箱じゃない、箱じゃないんだよ、この間抜けが。私の作品は箱の中だ!」と。自分の陶芸作品に絶対的な自信を持つ魯山人らしいエピソードだ。対面のあと、ピカソからお礼にと、絵画作品が2枚ほど魯山人に贈られたが、それらを魯山人は受け取らず、秘書が代わりに受け取ったというから魯山人の怒りは相当なものだったようだ。世間の評価なぞ一切気にかけない北大路魯山人、芸術家同士としてピカソと向き合った印象についてこう記している。「カンヌあたりのゴロツキのように下品でどうしようもなくふてぶてしいツラをしていた」。魯山人らしい辛辣な言葉のピカソ評である(笑)