ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

日本人は、なぜ自分を私・僕・俺と使い分けるのか。

米国の掲示板4Chに、なぜ、「日本では1人称(自分の呼び方)の種類が多いのか」というスレッドが立った⬆。確かに 日本人は男性なら自分をワタシ・ボク・オレ・ジブンなど対面の状況によって自分の呼び方(1人称)を使い分けている。女性の場合でも男性より数が少ないが、自分をワタシ・オネエサン・オバサンなどと1人称を対話する相手によって使い分ける。欧米では男女に関係なく1人称はI(アイ)の一言で済み、日本のように自分を様々な場面で呼び方を変えることは先ずしない。日本人が自分の呼び方を様々に使い分けるのは昔からの伝統的な習慣だ。自分を拙者や吾輩や己(おのれ)と呼び方を使い分けるのは時代劇でもお馴染みだ。では、外国の国々がI(アイ)の一言で自分を表現するのに、日本ではなぜこれほど様々な使い分けをするのだろうか。その理由としては欧米の社会が「個人主義」で成り立っているのに対して日本は「集団主義」の国だからだ。集団の中では個人の存在というのは様々な形に変化する。目上の人や初対面の人と対話する場合の個人は「ワタシ」になり、気の置けない友人と対話する場合は「オレ」になり、仕事上で多くの人と対話する場面では「ジブン」と呼ぶように、対話する相手や状況によって「個人」の呼び方を自在に変えてゆく。こうすることで、集団の中の個人は、自分を取り巻く様々な人々と円滑なコミュニケーションが計れるという日本人に共通した賢い「知恵」なのだ。