ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

女ギャング、ボニー・パーカー銃殺に2万人の葬列。

アメリカの犯罪史上で稀に見る凶悪ギャングカップル「ボニーとクライド」。1930年代前半にアメリカ中西部で銀行強盗殺人を繰り返し、強盗に入った銀行の行員や保安官、警察官13人が次々と犠牲になった。とりわけ、当時では珍しい女性ギャングのボニー・パーカーは、隠れ家の捜索で見つかった未現像のフィルムを現像したところ、ボニーが歯で葉巻をくわえ、手にピストルを持っている写真⬆が見つかり、アメリカ中の新聞の一面を飾るニュースとなったことで「新しい犯罪のスーパースター」としてアメリカ市民がもてはやした。大衆の多くは、金持ちに狙いを定め、貧乏人からは巻き上げないボニーとクライドの「義賊的な姿勢」に共感を憶えたのだ。しかし、1934年5月23日午前9時、ルイジアナ州道154号線で待ち伏せしていた警察官6人によって2人の乗った車フォードV8が銃撃され合計112発の弾が打ち込まれ、そのうち約4分の1がボニーとクライドに命中し2人は即死の状態で射殺された。女ギャングのボニーの葬儀には2万人以上が出席し、彼女の家族がボニーの墓にたどり着くことさえ困難だった。全米のあらゆる場所から花が届き、ボニーとクライドの突然の最期はダラスだけで50万部の新聞が売れたという。1930年代のアメリカは禁酒法世界恐慌によって失業者が溢れるという暗い時代にあり、その憂さを晴らすかのように犯罪を繰り返したボニーとクライド。凶悪な犯罪者であるにも拘らず、アメリカの一般庶民は、彼らを英雄視する者が多かったのだ。