ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

力道山の不審死、30年後に医療ミスだったと医師が明かした。

戦後日本にプロレスという新しい格闘技を根付かせた力道山。その彼が、赤坂の高級クラブで暴力団員に腹を刺されたのは1963年12月8日の夜だった。病院での緊急手術で一旦は救命されたと伝えられたが、1週間後の12月15日深夜急逝した。強靭な体のプロレスラーである力道山(39歳)のあまりにもあっけない死に方に、当時のファンの多くが納得できず、その死因を訝った。刺された傷は外科手術を受け成功し、1週間後に腹膜炎による腸閉塞を理由に再手術しこれも成功したと報告されたが、その約6時間後に力道山は突然死亡。死因は「腹膜炎」と発表された。しかし、事件から30年後の1993年、岐阜大学医学部土肥修司教授が、自らの著書の中で「力道山の死は、麻酔を担当した外科医が気管内挿管に失敗したことであった。もちろん気管内挿管ができなかったことが、力道山が死ぬ十分な条件ではない。問題は、筋弛緩薬を使用したために、外科医が気管内挿管の失敗を繰り返していた間、(力道山は)呼吸ができなかった。(つまり)人工呼吸をしなかったことによる無酸素状態が死亡の原因であった」と明らかな医療ミスによる「窒息死」が「死因」だったと暴露したのだ。強靭な体力を誇った力道山でも無酸素状態では生きられない。今から半世紀以上前に起きた医師による医療ミス、カルテ(診療記録)の開示が必要無かったこの時代、庶民のヒーローであった力道山であっても、「医療ミスによる死亡」を、病院側は隠し通すことが出来たのだ。