ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

若ハゲのアート・ガーファンクル、日本人は誰も気付かなかった。

サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」「明日に架ける橋」「コンドルは飛んで行く」などの大ヒット曲を次々に生みだしたフォークデュオ「サイモン&ガーファンクル」。しかし、1970年にポール・サイモンとアート・ガーファンクルは、デュオ活動を停止、ガーファンクル(⬆上写真左)はソロ歌手以外に俳優としても活動しつつ、1978年6月、日本への一人旅を決意。貨物船に乗って10日がかりで日本にやってきた。彼は、神戸のホテルに荷物を置きっぱなしのまま、歯ブラシと地図とクレジットカードだけを持って京都まで歩く。さらに、京都から福井県敦賀まで4日かけて歩き、敦賀で自転車を購入。宿泊した旅館ではちょうど自分が出演した映画「愛の狩人」(⬆上写真右)がTV放映されていたが、テレビに映ってる自分を指して「あれオレ」とガーファンクルが言っても、映画出演時に付けていた前髪のカツラが無かったため、タダのハゲ外人にしか見えず、旅館の人に相手にされなかったという。京都に戻り、自転車ごと新幹線に乗ろうとするが持ち込めないと言われ、そこらの通行人に売ろうとするが売れず結局駅前で自転車を捨て、列車で荷物をとりに神戸へ戻る。神戸から新幹線で東京へ。東京で初めてCBSソニーに連絡を入れ、野球(巨人・ヤクルト戦)を観戦。野球のTV中継カメラマンが、観客席のガーファンクルに気付きその姿を生中継、TVに写ったガーファンクルを、アナウンサーが「ポール・サイモンさんです」と紹介したという。2009年のドームツアーで来日した際に、アート・ガーファンクル自身が、日本語で「私は昔、日本を横断して歩きました」と31年前の「ニッポン一人旅」についてステージ上で語っている。