ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

サイモン&ガーファンクルをいきなり全米1位にした男ウィルスン。

1965年〜1970年にかけてポピュラー音楽史上に燦然と輝く名曲「サウンド・オブ・サイレンス」「スカボロー・フェア」「明日に架ける橋」「コンドルは飛んで行く」を次々に生みだしたフォークデュオ「サイモン&ガーファンクル」(⬆上写真右)。1964年にアルバム『水曜の朝、午前3時』でデビューしたが、売上がわずか3,000枚と惨憺たるものだったため、ポール・サイモンはヨーロッパ放浪の旅へ出、アート・ガーファンクルもデビュー前に通っていた大学院へと戻っていた。しかし、このアルバムプロデューサーだったトム・ウィルスン(⬆上写真左)は、このデビューアルバムが当たらなかったことに首をかしげていた。中でも収録曲の「Sounds of Silence」は少し手を加えればまったく違った結果になったのではないかと録音スタジオで考えていた時、ちょうどレコーディングを終えたミュージシャンがスタジオに残っていた。そこでトム・ウィルスンはギター、ベース、ドラム奏者の3人に「もう1曲だけオーバーダビングに付き合ってくれ」と頼み込み、サイモン&ガーファンクルの「Sounds of Silence」のエレクトリックバージョンを仕上げたのだった。トム・ウィルスンのこの思いつきは見事に的中し「Sounds of Silence」はヒットチャートを見る見る駆け上り、ビルボードのヒットチャートで見事第1位を獲得した。デビュー間もないサイモン&ガーファンクルを、いきなり全米一のスター歌手にしてみせた音楽プロデューサー、トム・ウィルスン。「Sounds of Silence」をヒットさせた13年後、心筋梗塞のため47歳で早逝した。