ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

NYタイムズ、アントニオ猪木はアリに勝てていた、と追悼。

『燃える闘魂』として国民的な人気を誇ったアントニオ猪木氏が今月1日に亡くなったことを受け、アメリカを代表する新聞『The New York Times』でもこのニュースを大きく扱った。記事では「1976年にモハメド・アリと対戦して有名になった後、政治家として、また世界中を飛び回る平和の仲介人として活躍した」と紹介、「1976年6月26日、東京で行われたモハメド・アリとのスタントマッチは、アメリカでも注目を集め、その名を世界に知らしめた」とアリとの「格闘技世界一決定戦」にも言及、世界中から「凡戦」と評されたこの一戦について第6ラウンドで両者がマット上に横になった場面を取り上げ「あの瞬間、レフェリーが2人を引き離すまで、あと5秒、10秒続いていたら、イノキはアリの首か腕を巻き込んで、その場で格闘技界の歴史を変えていただろう」と、猪木が勝つチャンスがあった試合だった、と追悼の記事を書いている。YouTubeでその6Rの場面を見直してみると、猪木は床に仰向けになりアリを誘うように足を高く上げる。アリがその両足をつかむと、猪木は体を思いっきり反転させ両足を掴んでいたアリはその反動でマットに仰向けに倒れて猪木に組み伏せられてしまう。そして馬乗りになった猪木がアリの顔面にヒジ打ちを入れようとした瞬間(⬆上写真)、レフェリーが猪木の腕を取りアリから体を引き離してしまったのだ。NYタイムズが指摘したように、あのまま試合が続行していたなら猪木はプロレス技でアリを間違いなく倒せていたと思われる。