我が国のプロレスの歴史に偉大なる足跡を残してきたアントニオ猪木氏が79歳で亡くなった。死の5ヶ月前、猪木氏は青森県十和田市のひなびた蔦温泉に「アントニオ猪木家」の墓を建てていた。生まれ育った横浜でも、活躍した東京でもなく、子供時代を過ごしたブラジルでもなかった。猪木自身も「なんで青森になったんだろうなぁ、ご縁というか必然というか」と5ヶ月前に語っていた⬆。生前、猪木氏は、ひなびた蔦温泉が気に入り、3年前に亡くなった田鶴子夫人を伴い都会の喧騒から遠ざかるように、何度も静かな時をここで過ごしていたという。思えば、猪木氏の人生は、まさに波乱万丈の人生だった。日本プロレスの始祖力道山に弟子入りしプロレス界の寵児となったが、プロレス以外でも世界ヘビー級チャンピオンのモハメド・アリとの異種格闘技や漫画家の梶原一騎による猪木監禁事件、スポーツ平和党を立ち上げての政界進出、多くの批判を浴びた北朝鮮親善訪問、湾岸戦争の際の日本人人質開放、講演中に暴漢に刺された事件など心の休まることのない人生だったと言えるだろう。その彼が人生の終の居場所に選んだ蔦温泉、度々訪れた蔦温泉旅館の壁に猪木氏がしたためた「つたえ歩きで」と題した詩文の額がかかっている。「風呂場からゆぶねに浸かれば あつい熱が心地よく体のしんへと入ってくる 汗ばんだ体を水風呂につかれば 小さなことはふきとんで 気分は天国 杖をわすれて廊下を歩く 千年の温 蔦温泉」(原文ママ)。波乱万丈の人生を生ききったアントニオ猪木氏、ご冥福をお祈りしたい。