ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

マリリンモンローを虜にしたエラフィッツジェラルド。

サラ・ヴォーンカーメン・マクレエと並んでジャズの三大女性ボーカルの1人と称されるエラフィッツジェラルド⬆、彼女の人生において重要な人物は誰かと言えば、意外だがジャズアーティストではなくセックスシンボルとして名を馳せた女優マリリンモンロー⬆だった。エラのファンだったモンローは、当時の人種隔離主義で、出演者もお客も白人のみのLAの高級クラブ「モカンボ」で「もしエラ・フィッツジェラルドを出演させてくれるなら、私は毎日、真ん前の席を予約するわ」とオーナーに交渉。オーナーは、毎日マリリン・モンローが来店すると予告すれば、お客さんもモンロー見たさに来店して繁盛するし、マスコミも押し寄せて店の宣伝にもなると、黒人歌手エラ・フィッツジェラルドの「モガンボ」への特別出演を承諾、モンローは初日に名歌手ナットキング・コールを同伴して現れ、映画の撮影では遅刻やすっぽかしの常習犯だったのに、エラの公演中は本当に毎日来店したという。エラは後日のインタビューで「マリリン・モンローには大きな借りができた」と語っている。モンローは、なぜこれほどまでにエラの歌声に惚れ込んだのか。その理由はモンローのボーカルトレーナーが歌の上達のためにエラが歌ったガーシュイン作品のレコードを、100回聴けと命じたのがキッカケだった。モンローは、エラの歌唱をひたすら研究、歌い続けたおかげで人を感動させる歌手へと成長できたのだ。ケネディ大統領が、自分の誕生日パーティに駆けつけ目の前で『HappyBirthdayMr.President』と歌うマリリンモンローの歌声に「いつ引退しても悔いはない」とつぶやいた、というエピソードは余りにも有名だ。