ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

ソビエト「北海道占領」を突っぱねた米国ハリマン大使。

1945年8月10日、敗戦国日本の「占領」について戦勝国側のアメリカとロシア(旧ソビエト連邦)がモスクワで会談を行った。ソビエトのモロトフ外務大臣とアメリカ駐ソ大使のアヴェレル・ハリマン⬆(後に、トルーマン推薦の大統領候補)との話し合いだ。モロトフはハリマンに対して「日本を二つに分割して統治しようではないか」と、米ソ両国による分割統治を持ちかけた。ハリマンは、会談の2日前にソ連軍の国際法を無視した一方的な日本に対する宣戦布告に不信感を抱いており「わがアメリカ軍は日本を相手に4年間も戦っている。貴国はわずか2日ではないか。2日しか戦っていないソビエト軍になぜ日本の統治権の半分を渡さなければいけないのか」と反論、するとモロトフは「それはお前の個人的な意見ではないか。トルーマン大統領はそのように言わないはずである」と発言、しかしハリマンは「私はトルーマン大統領からすべてのことを聞いてきている。全権は私にある」と突っぱねたのだ。後に、トルーマン大統領はこのことを聞いて「まさにハリマンは自分の思ったとおりのことをやってくれた」と褒めたという。しかし、日本が降伏した翌日の8月16日、ソビエトの最高指導者スターリンはトルーマン大統領に対して、北海道の北半分の領有を再び求めてきた。トルーマンは「もはや日本占領軍最高司令官はマッカーサーただ一人に決めてある。北海道も日本本土のうちであるから、マッカーサーの統治下にある。ソビエト軍は一人たりともその統治に加わることはできない」と返答し、ハリマンの助言した通りアメリカ1国による日本統治が決まったのだ。