イギリスの作家コナン・ドイルが、1887年に創作した世界的名探偵シャーロック・ホームズ。抜群の推理力の持ち主であるうえに解剖学、化学、数学、法律にも詳しく、拳闘(けんとう)、フェンシング、棒術にも優れた探偵だ。しかし、1894年作者ドイルは、探偵小説を卒業して歴史小説を書こうとホームズを死なせることを考えた。同年発表の『最後の事件』(作中時期は1891年)で、ホームズが宿敵のジェームズ・モリアーティ教授とスイスのライヘンバッハの滝で揉み合いになった末、2人とも滝壺に落ち死亡した、という結末にしたが、読者のホームズ復活の要望に抗しがたく次の作品『シャーロック・ホームズの帰還』(1905年)でホームズを生き返らせている。復活の理由としてモリアーティ教授との闘いの場面で日本の「柔術」を使って⬆死地を切り抜けたとしている。日本の柔術の歴史を見ると1889年から1891年にかけてヨーロッパに滞在し、パリ万博にも参加した講道館柔道の創始者である嘉納治五郎の柔術に作者のコナン・ドイルが接する機会があったため「柔術で死地を切り抜ける」方法を思いついたと考えられる。英国の「柔術協会」には、当時のシャーロック・ホームズの日記(嘉納治五郎会見記)が残されているという。同じ頃、フランスでもモーリス・ル・ブランが1906年に発表した『アルセーヌ・ルパンの脱獄』(作中時期1900年)の作中において逮捕しようとするガニマール警部にルパンが柔道(柔術)の関節技を極めて撃退するシーンが登場している。今から115年前、イギリスのシャーロック・ホームズもフランスの怪盗ルパンも日本人嘉納治五郎の「柔術」に大いに魅せられていたようだ。