夏目漱石の短編集「夢十夜」に、仏師「運慶」が何の設計図も無く見事な仏像を掘り出すことについて書かれた一節がある。そこには、運慶の仕事を見て驚いた人たちの会話がこんな風に書かれている。「よくああ無造作にノミを使って、思うような眉や鼻ができるものだな」「あれは眉や鼻をノミで作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、ノミと槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」と。確かに、運慶の彫刻の魅力は、徹底したリアリティの追求による力強さと圧倒的な存在感にあるのは、彼の最高傑作とされる国宝「無著(むちゃく)と世親(せしん)」像⬆を見れば明らかだ。この二体の像が人々の心を捉えて放さないのは、まるで生きてるようにリアルに表現するため細部まで計算し尽くした天才仏師運慶の並外れた技量に誰もが感動するからだ。人知を超えた運慶の彫刻技術の凄さを漱石は「木の中に埋まっている像をノミの力で掘り出しただけ」とパラドックス(逆説表現)を用いて「賛美」したというわけだ。日本が誇る彫刻家運慶が活躍したのは 平安末期〜鎌倉初期の1200年代、それから200年後のルネサンス時代、天才彫刻家として知られるミケランジェロは「全て大理石の塊の中にはあらかじめ像が内包されている。彫刻家の仕事はそれを発見する事。大理石の中には天使が見える、そして彼を自由にさせてあげるまで彫るのだ」と。漱石が表現した「運慶」彫刻への「賛美」の言葉とミケランジェロの言葉が見事に一致しているのは偶然だろうか。