ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

チェ・ゲバラを55年前に処刑したマリオ・テラン軍曹が死去。

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キューバ革命の英雄チェ・ゲバラ(⬆上写真左)は、キューバ革命政府の工業大臣の肩書を捨て、一革命家としてアフリカのコンゴや南米ボリビアで次々とゲリラ戦を戦ったが、1967年にボリビア軍に捕らえられ、同年10月9日、ゲバラはマリオ・テラン軍曹(⬆上写真右)の銃弾で39年の生涯を閉じた。それから55年後の今年3月10日にテラン軍曹は80歳で亡くなった。ゲバラの処刑直後、テラン軍曹はメディアの取材に応じて処刑の詳細について語っていた。処刑を上官に命じられたマリオ・テラン軍曹は、ゲバラを撃つことに躊躇していると、ゲバラは「恐れるな、早く撃て!」と言い、テラン軍曹がゲバラの右脚を撃ち抜いたものの、ゲバラはまだ生きていた。恐怖でその場を離れたテラン軍曹を上官が叱責し、とどめをさしてこいと命令され、もう一度ゲバラが収容されている部屋へ戻ったテラン軍曹にゲバラは「ちゃんと狙って撃て」と言い、テラン軍曹は左胸と首を撃った。それでも絶命しなかったため、別の兵士がゲバラを仰向けにし、至近距離で心臓を撃ち抜いたという。死刑制度のないボリビアでゲバラはなぜ処刑されたのか。それは、ボリビアで革命が成功すれば南米のブラジル、アルゼンチン、パラグアイ、チリ、ペルーへも、ゲバラが革命を広げていくことを怖れたためだったという。射殺を告げられた時、ゲバラは「それでいい。自分は生きて捕虜になるべきではなかった」と言い「フィデル(キューバ首相カストロ)に、間もなく南米で革命が成功するだろうと言ってほしい。妻には再婚して幸せになるよう伝えてくれ」と言い残したと言う。