東大寺正倉院に収蔵されている香木「蘭麝待」(らんじゃたい)(⬆上写真左)は、天下第一の名香と謳われる香木である。植物の樹幹に樹脂や精油が沈積した沈香の一種で、産地としてラオス中部からベトナムにかけてのインドシナ半島東部の山岳地帯と推定され、正倉院に収蔵されたのは八百年以上前と推定されている。天下の名香である「蘭麝待」は、権力の象徴として時代の天下人がこれを切り取った記録が正倉院に残されている。寛正6年(1465年)9月24日に室町幕府の将軍足利義政が1寸角を2個切り出して1つを天皇に献上し、もう一つを義政自身が受け取ったという記録がある。さらに、天正2年(1574年)3月23日に、天下人織田信長が、1寸角2個を切り取り、1つは天皇に献上し、もう1つは信長が拝領した、という記録が残っている。正倉院の「蘭奢待」には、2人が切り取った跡を示した(⬆上写真右)付箋が残されている。なぜ、足利義政と織田信長は「蘭奢待」を切り取ることにこだわったのか。正倉院の宝物庫の扉は天皇の許可なしでは開けられない場所であり、義政も信長も、天皇の許可を得て宝物庫に入り宝物である「蘭奢待」の一部を切り取ることで天皇に対して自らの権力を誇示したかったからに他ならない。その証拠に、織田信長は手に入れた「蘭奢待」の香りには興味を持たず、茶人の千利休らに惜しげもなく分け与えてしまったという記録が残されている。