ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「めでたさも中位いなりおらが春」一茶の正月ナゼ中くらい?

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江戸の三大俳人「松尾芭蕉」「与謝蕪村」と並び称される「小林一茶」。数々の名句で知られるが、中でも誰もが一度は聞いたことがある『めでたさも中くらいなりおらが春』という 初春(正月)を詠った句の「めでたさが中ぐらい」に一茶が込めた心情とは何なのかについて、様々な意見がある。この句には前書きが付いていて、現代語訳すると「我が家は風が吹けば飛ぶようなあばら家に似つかわしく、門松も立てず掃除もしないで、ありのままで正月を迎えている」と記されている。前書きにはさらに「ことしの春もあなた任せになん」とあり、「あなた」とは阿弥陀如来を指し「今年の春も阿弥陀如来様にお任せして迎えたことだ」と、一茶は述べているのだ。この句が詠まれたのは文政二年(1819年)の正月、一茶57歳のときの句だ。52歳で初めて結婚した一茶が、24歳年下の妻お菊とまだ一歳にも満たない愛娘「さと」と家族三人で迎えた正月について詠った一句。自らに忍び寄る「老い」と妻と娘の将来を按じる不安とが交錯して、「めでたさも中ぐらい」に感じたというのがこの時の一茶の心情だったと思われる。一茶は50の時、永住すると決めた故郷である信濃国柏原(現在の長野県信濃町) で詠んだ句「これがまあ 終(つい)のすみかか 雪五尺(1.5m)」にも通じる、つねに自からの置かれた境遇を客観視して、まるで私小説のような句を詠んだ小林一茶、江戸期の俳諧の巨人であったことは頷ける。