今から159年前の1862年(文久2年)3月12日、ホワイトハウスで、アメリカ大統領アブラハム・リンカーンと握手したただ一人の日本人浜田彦蔵⬆。彦蔵はその日の日記にこう記している。「大統領は、静かに座を立って、われわれの方へ歩み寄った。われわれもまた立って、これを迎えた。国務卿シワード氏が『早速ですが、日本人ジョセフ彦君を紹介いたします。』というと、大統領は非常に大きな手をさしのべて『はるばる日本から来た彦君にお目にかかるのは喜ばしい』と言いながら礼を正して余と握手して、日本についての様々な質問をした。リンカーン大統領は背の高い瘠せ肉の人で、その両手がひどく大きい。髪の毛は黒みを帯び、もう白髪が交じっており、薄い頬ひげを生やしているが、口の廻りはきれいに剃ってあった」。日本人彦蔵は一体なぜリンカーン大統領と握手できたのか。彦蔵は、15歳で和船の乗組員となり関西から江戸に向かう途中に遭難、漂流中にアメリカの商船に救助されてサンフランシスコに上陸、税関長のサンダースに引き取られ、ジョセフ・ヒコの名で学校教育を受けさせてもらい、1858年21歳の時に帰化してアメリカ国民となった。勤勉で優秀だった彦蔵は、上院議員のWilliam M. Gwinに秘書として雇われワシントンD.C.に随行して、当時の大統領ジェームズ・ブキャナンに接見、その4年後に次の大統領リンカーンにも会見することが出来たのだった。この歴史的な会見の半年後、彦蔵は、アメリカ領事館の通訳として日本に帰国し、日本で最初の新聞「海外新聞」を発行した。明治30年(1897年)、東京の自宅にて61歳で死去。アメリカ国籍の浜田彦蔵は日本人に戻る法的根拠が無いとされ、外国人として青山の外国人墓地に葬られた。