「夢でもし逢えたら素敵なことね」のフレーズで始まるジャパンPOPの名曲「夢で逢えたら」は、日本語の歌詞をロックに載せたいという作曲家大滝詠一の長年の夢の具現化だった。大滝詠一が作詞・作曲した「夢で逢えたら」は、彼が意図したアメリカの60年代ポップスのセンスにあふれ、1974年に女性歌手シリア・ポールの歌声で世にデビューし、その後多くの女性歌手が、次々とカヴァーしたがヒット曲にはならなかった。この「夢で逢えたら」を大ヒットさせたのは男性ヴォーカルグループ「ラッツ&スター」の鈴木雅之の歌声だった。鈴木雅之はこの曲との出会いについて「大滝さんに初めて誘われて福生(大滝の自宅)に向かう高速道路でカーラジオから流れてきたのが、シリア・ポールが歌う『夢で逢えたら』だった。その時に夢じゃなく本当に大滝さんに逢えるんだと思ってハンドルを握ったのを覚えてる。96年、ラッツ&スター再集結の時にカバーしたのが『夢で逢えたら』。2020年、24年ぶりに出場した紅白歌合戦で歌ったのも『夢で逢えたら』だった。感慨深いよね」とこの曲との不思議な縁について語っている。多くの女性ヴォーカルでヒットしなかった「夢で逢えたら」が男性ヴォーカル鈴木雅之によって大ヒットしたことに、生前の大滝詠一は「この楽曲がこのような『落とし所』になるとはまったく『夢』にも思いませんでした」と語っていた。曲の発表から大ヒットまで22年を要した「夢で逢えたら」、大滝詠一亡き後、ジャパンポップスのスタンダード・ナンバーとして知られる名曲となった。