ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

お笑い界の天才欽ちゃん、ソントクで「運」は来ない。

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お笑い界で視聴率100%男として知られた萩本欽一さん。彼がコメディアンとして成功する基礎を作ったのが浅草の「東洋劇場の舞台」だった。その東洋劇場入りした経緯について欽ちゃんが明かしたエピソードが実に興味深い。欽ちゃんが中学を卒業し「ツテがあって、デン助さん(当時浅草を代表するコメディアン)のところに行ったんだけど、『これからはコメディアンでも学歴が大事。せめて高校くらいは出たほうがいい』とか言われてね、その言葉に従って高校は通うことにしたの。ところが、高校の3年間で事情が変わっちゃってさ。デン助さんが、すごい売れっ子になっちゃったわけ。仲介してくれた東洋劇場の人から言われたのは「こういう状況だから、デン助さんもお前のことを覚えているかわからない。弟子入りなんて無理かもしれない」と言われ、仲介してくれた人の東洋劇場に入ったのだと言う。のちにデン助さんに、「お前はうちに来なくてよかったよ。うちだったら、一生、陽の目を見なかっただろうね」って言われた。「結局のところ「どっちが得か?」みたいに目先のことばかり考えているとダメなんだよ。そこには未来なんてない。ソントク勘定は「運」を呼び込まないからね。それよりは恩返しだったり、人の期待に応えたいという気持ちが大事だと僕は思うんです。人のために何かをすると、途中で投げられないじゃない。自分のために始めたことって、途中でつまずくと「まぁいいや。代わりにこれをするか」ってすぐに路線変更できちゃうでしょ。そこには大きな違いがあるよ。東洋劇場の人がデン助さんを紹介してくれたのが純粋にありがたかったし、(東洋劇場に入ったのは)その気持ちに応えたいなと思っただけなんだよね」。コメディアンとしてスタートを切り、欽ちゃんが人気者になるキッカケをつかんだ東洋劇場、ここで受けた「恩」を返しながら、欽ちゃんは「運」を呼び込むことに成功できた、と言う訳だ。