ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

上空2500mから見た富士山を「北斎」はナゼ描けたのか。

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葛飾北斎が描いた富士山。ぞれがどの地点から見た風景なのかを探す試みが、現代の科学的な視点から様々な考察が続けられている。今から190年前の1830年に北斎が70歳の年に描いた「山下白雨」(⬆右図)は、コンピュータでシュミレートすると上空2500mの位置から眺めた富士山の風景写真(⬆左写真)にピタリと一致する。ドローンなどない時代に、北斎はナゼこの構図から富士山を描くことができたのか。北斎が単なる想像で描いたのではないと分かるのは、この角度からは上空2500mからしか見えない「御坂山地」(画面左下の背の低い山並み)を、北斎がしっかりと描いている点だ。「北斎が空中を浮遊しながら描いた」としか思えないバードアイ(鳥の目)の超絶テクニック。北斎は他にも、江戸から京都まで東海道を上空から一望したかのように描いた《東海道名所一覧》や、神奈川三浦半島から江戸の町並み、房総半島まで上空からぐるりと見渡した「総房海陸勝景奇覧」などのバードアイ作品を数多く残している。こうした北斎のバードアイテクニックの秘密は「空間認識能力」と呼ばれ、北斎は頭の中にまず地図を作り上げ、そしてそのイメージで山下白雨(⬆上右図)の構図を思いつき描いたと考えられている。この「空間認識能力」を司どっているのは脳の「海馬」と呼ばれるところで北斎はこの海馬部分が普通の人より発達していたと考えられている。「山下白雨」を描いた70歳過ぎても旅ができるほどの健脚の持ち主だった北斎、その足で旅を続けながら、知らぬ間に脳の若さを保ちつつバードアイの絵を着想できた、天才絵師と呼ばれる所以(ゆえん)である。