ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

カン違い、「三くだり半」は妻が「自由」を得るパスポート。

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「三くだり半」は、江戸時代の庶民が離婚する際、夫から妻に宛てて交付する、離婚を確認するための「離縁状」のことだった。当時の「離縁状」は、⬆上記のように3行と半分の文字で書かれることが多く、庶民の間では三行半(みくだりはん)という呼称が広まったのだという。現代の「離婚届」が夫婦連名で国に対して行う確認的届出の文書であるのに対して、江戸時代の「離縁状」は夫の単独行為である離縁を証する文書であるため、一方的な女性差別の象徴物とされがちだが、それは大きなカン違いだ。実際には「三行半」は、離婚後の妻の「自由」を保証するための証明書だった。妻が離婚を望んでいるにもかかわらず「離縁状」を書かないのは夫の恥とされ、また、夫からの勝手な一方的離婚の場合には相当量の金銭を妻に持たせることもあった。このように、必ずしも夫が好き勝手に易々と離婚できる時代ではなかったのだ。それが証拠に、女性の労働力によって支えられている養蚕や製糸・織物業が主体となっている地域では離婚後も女性の収入源が確保されていたため、「離縁状」は養蚕や織物が盛んだった地方に特に数多く残されている。また、夫側からの離縁状交付が必要だった江戸時代の離婚制度の中、妻側からの離婚請求を受け付けて妻を保護し、離婚調停を行う特権が公的に認められていた「縁切寺」というのも江戸時代には存在していた。寺に駆け込もうとする妻を連れ戻そうと夫が追いかけてきても寺の敷地である門から内側に妻の体が一部分でも入れば、夫であっても連れ戻してはならないことになっており、また体の一部でなく、履いていた草履を投げて敷地内に入ったら、夫は妻を連れて帰ってはならなかったという。江戸の昔でも女性の「自立心」は今と同じように強かった、そう思いませんか(笑)