ノーネクタイのMy Way

ネクタイを外したら、忙しかった時計の針の回転がゆっくりと回り始めて、草むらの虫の音や夕焼けの美しさ金木犀の香りなどにふと気付かされる人間らしい五感が戻ってきたような感じがします。「人間らしく生きようや人間なのだから」そんな想いを込めてMywayメッセージを日々綴って行こうと思っています。

「忠臣蔵」討ち取った吉良の首は、泉岳寺からどこへ行った?

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毎年12月になると話題にのぼる忠臣蔵。今年は、四十七士の1人・近松勘六の家来であった近松甚三郎の子孫が大切に保管していた貴重な古文書が発見され、所ジョージ司会のテレビ番組で紹介された。新発見となった古文書は、主君の仇討ちを果たしたあと泉岳寺に凱旋した一行が浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供え、一同焼香したという史実についての詳細な記録だった。四十七士の近松勘六が記録したこの古文書によれば、赤穂浪士たちが仇を討ったとはされていない。自分たちは吉良を墓前に「お連れした」と記載され、内匠頭自身がその首を討って悔いを晴らしたと記述されている。さらに吉良の首と共に浅野内匠頭の遺品の小刀が墓前に供えられ、鞘から抜かれた小刀を軽く三度吉良の首に当てるという儀式を浪士全員が次々に行ったと記されていた。このテレビ番組内で解説を聞いていたMCの所ジョージも「ただ(史実を)覆すというより、よりいい話になっているから、日本人の心みたいな。だから気持ち良かったですよ」と今回明らかにされた新史実についての感想を述べた。ところで主君の墓前に供えられた吉良の首はその後どうなったのか。墓前に捧げられた後、箱に詰めて四十七士から泉岳寺に預けられた。寺では僧二人が吉良家へその首を送り届け、家老がその首を受け取った。この時の僧二人の連署が残された吉良家発行の「吉良の首の領収書」が泉岳寺に現存しているという。